東京五輪“不選出”は「自分の実力」 負傷明けの原輝綺に“元日本代表SB級”の飛躍を期待
暫定13位に浮上も…降格圏の17位仙台との勝ち点差は「6」
そして、この試合の唯一の得点となったゴールは、後半22分にCKの折り返しを原が良いポジショニングから押し込んだものだった。約1カ月前の天皇杯2回戦・福山シティFC戦でも決勝点を挙げて、その攻撃的なセンスを見せていたが、J1では約4年ぶりの2ゴール目。「復帰する前に上から見ていて、スペースの見つけ方というのを実践するようになった。それが今日はゴールに繋がった」と、離脱中の試合に出られない時間も無駄にしていなかった。
残念ながら期待されていた東京五輪の日本代表には怪我の影響もあり選出されなかったが、「本当に必要な選手であれば呼ばれている。シンプルに自分の実力だと感じているので、今日みたいなプレーをスタンダードにより良いプレーを見せていけば、また次に繋がる。過ぎたことは過ぎたことで、次のステージに向かって頑張りたい」とすでに目標をA代表に置き換えていた。清水への移籍1年目、今年の2月には第一子となる長男も誕生しており、いろいろな意味で今シーズンがターニングポイントとなりそうな原からは、これからも目が離せないだろう。
そして、この試合でも再三のピンチを防いだGK権田修一は、試合後の会見でチームを引っ張ったDF奥井諒と、自身の191センチの身長よりも高いFW長沢駿に対して体を張った守備をしたDF立田悠悟の名前を出して称え、「ピッチ内で感じたことを言葉にすることは、みんながどんどんやるようになってきている。そこはだいぶ進化している」とチームの成長を感じていた。ただ、「今日は相手があまり良くなかったので、だから勝てたというところが正直ある」とも話した。試合は1-0で勝利したが、清水が先制してからは大分の猛攻に清水の選手は自陣ゴール前に釘付けとなった。それでも奥井は「特殊な戦術ではあるが、監督がディフェンスラインに求めているポジショニングや動きはやれている」と、ある程度守備には自信を示している。ここまで終盤に耐え切れずに失点をして勝ち点を落とし、今の順位に甘んじてきたことを考えれば、後半戦に向けてこの勝利は明るい材料と言えるだろう。
1992年7月4日にJリーグのオリジナル10(創設時の10クラブ)として参戦した清水が、初めて有料対外試合を行い、それから後に「エスパルスの誕生日」に設定し、この日は29回目の誕生日。その記念日に勝利して自らを祝い、順位も1つ上げ暫定13位となった。しかし、降格圏の17位仙台との勝ち点差は「6」しかない。まだシーズンを折り返したばかりで順位を気にして戦うには早いかもしれないが、毎年最終節まで降格の心配をして見守るサポーターにとっては、早く勝ち点を積み上げて、下位ではなく順位が上のチームとの勝ち点差を気にかけるシーズンの後半戦となることを望んでいる。
下舘浩久
しもだて・ひろひさ/1964年、静岡市(旧清水市)生まれ。地元一般企業に就職、総務人事部門で勤務後、ウエブサイト「Sの極み」(清水エスパルス応援メディア)創設者の大場健司氏の急逝に伴い、2010年にフリーランスに転身。サイトを引き継ぎ、クラブに密着して選手の生の声を届けている。