「レッズの選手で良かった」 浦和で失意の1年、元Jリーガーが引退後に咲かせた大輪の花

大宮サッカー場でのサテライトリーグでプレーする東海林さん【写真:本人提供】
大宮サッカー場でのサテライトリーグでプレーする東海林さん【写真:本人提供】

今も忘れられない鈴木啓太や井原正巳ら先輩たちの優しさと気遣い

「一旗揚げてこいよ」

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 周囲は開校以来初のプロスポーツ選手に大きな期待を寄せたが、当人は「持ち味のスピードがプロで通用するのか、イメージできなかった」と不安を抱えながらの門出となる。1月21日のチーム始動日は、豪雨と雷と強風に見舞われ、午後2時半からの練習はわずか50分で打ち切り。18歳の行く末を暗示するかのようだった。

 当時の浦和はトップとサテライトの2チームに区分けされ、別々に練習していた。サテライト所属の東海林の日常生活というのは、寮とサテライトが使う東京農業大学グラウンド(現・レッズランド)を行ったり来たりする毎日だった。

 トップチームの練習や試合に絡む好機は最後まで到来せず、サテライトでさえ力の差を痛感した。「ホリさん(堀之内聖)やロボさん(池田学)、ミカさん(三上卓哉)は、サテライトといっても僕からしたらみんな化け物です。持っているポテンシャルや意識が全然違い、来てはいけないところに来てしまったのかなって、ずっと思っていました。楽しいと感じたことは一度もなく、サッカー中心の生活に最後までなじめなかった」と苦々しい往時を回想した。

 公式戦出場はなし。サテライトリーグで1点取ったかどうか、はっきりしないという。1シーズンだけでも地元の人気クラブに所属したのだから、覚えていそうなものだが、「あの1年間は辛くて生きた心地がしなかった」と正直な胸の内を明かす。

 ただ“仕事”の辛さを一時でも滅却させてくれたのが、先輩たちの優しさと気遣いだった。

 誕生日が同じで2つ年上の鈴木啓太が、焼き肉をご馳走してくれたことが忘れられない。

「啓太さんは『俺も1年目はサテライト暮らしで、同期の(千島)徹のほうが注目されて悔しかった。今は全然試合に絡めなくて辛いだろうけど、あきらめずにアピールすればチャンスは来る』って励ましてくれたんです。僕はこの言葉を鮮明に、強烈に覚えています」

 寮住まいだった井原正巳との交流も、かけがえのない思い出だ。ワールドカップに出場した偉大な選手と風呂に入り、食事をし、会話をしたことがどれだけ励みになったかしれないという。「テレビで見ていた井原さんが、一緒になるといろんな話をしてくれました。ああいう触れ合いがなかったら、とっくに逃げ出していましたね」と苦笑いした。

 サッカーを離れ、鈴木とキックボードに興じるなど、ゲームや会話を楽しんだ寮生活が一番の思い出だ。

 11月に契約満了を通達されたが、一刻も早く今の環境を変えたかっただけにほっとした。スカウトの落合さんは申し訳なさそうに接したが、むしろ期待に沿えなかった自分を責め、それだけが心残りだった。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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