Jリーグと「夏の助っ人“流出”」 中東&中国勢の脅威…衝撃度の大きい歴代3人を選出
川崎で得点力を開花させたレナト、電撃退団も推定移籍金は6億円
■バレー【2008年/FW/ガンバ大阪→アル・アハリ(UAE)】
2001年に来日、一旦はブラジルに帰国したが03年に戻り、J2の大宮アルディージャで足掛け3シーズンで50得点を記録。05年にヴァンフォーレ甲府へ移籍すると、J1昇格の立役者となった。
ガンバ大阪にやってきたのは07年。MF遠藤保仁を擁する“黄金の中盤”から絶好のパスを引き出してゴールを量産し、特に後半戦は怪我でコンディションを落としたFWマグノ・アウベスに代わり、エース級の働きでリーグ戦20得点、ナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)制覇にも貢献した。
ACLに参戦した08年も夏までにリーグ10得点を記録し、さらなる活躍が期待されたものの、8月にUAEのアル・アハリからビッグオファーを受けて移籍。推定600万ドル(約6億6000万円)と報じられた。G大阪としては間違いなく痛手でありJリーグでは8位に終わったが、ACLでは日替わりヒーローが誕生するような躍進でファイナルに勝ち進み、アデレード・ユナイテッドとの決勝ではFWルーカスが2試合連続ゴールの大活躍で、“助っ人”としての面目躍如となった。
バレーはアル・アハリとアル・ジャジーラで4シーズン連続の二桁得点を記録するなど、UAEでも一時代を築き、13年に清水エスパルス、15年には古巣の甲府に戻ってプレーするなど、Jリーグを代表するブラジル人“助っ人”の1人と言える。
■レナト【2015年/FW/川崎フロンターレ→広州富力(中国)】
2012年に来日、当初はチャンスメークに定評のある選手だったが、Jリーグでは得点力も開花させた。特に左足のFKは絶品で、浦和レッズ戦でハットトリックを記録した試合では2点がFKによるものだった。攻撃的なサッカーを追求する風間八宏監督の下、司令塔のMF中村憲剛と名コンビを形成して、パスの受け手としても出し手としても輝きを放った。
15年は11年ぶりの2ステージ制となったが、1stステージは浦和レッズの独走を許す形で川崎は5位。そのなかでレナトは9得点を記録するなど気を吐き、2ndステージでの活躍も期待された矢先に中国で台頭していた広州富力からオファーが届き、7月に中国のウインドーが閉じる2日前に電撃的な完全移籍。レナト自身には年俸1億円、川崎には推定6億円の移籍金が支払われた。
庄子春男強化本部長は、レナトに1シーズン通してやり切るように説得したことを明かしていたが、もともと強気で設定していた移籍金の満額を提示され、引き留められる状況ではなかったことも事実。結局、そのシーズンの川崎は2ndステージ7位、カップ戦も含めて無冠に終わってしまったが、この時にレナトが残した移籍金のほとんどが麻生の本格的なクラブハウス建設費に使われたと伝えられる。
強力な助っ人の存在はタイトル獲得に重要だが、クラブの基盤はそれだけではない。グラウンドを見下ろすようにそびえ立つクラブハウスはチームや選手の活動を支え、クラブのステータスシンボルにもなっている。
河治良幸
かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。