131年ぶりの“掟破り”…エバートン就任劇が起きた背景 実直な男の地元“リバプール愛”

筆者の子供2人とベニテスの2人の娘は同級生だった

 また1960年生まれの彼は、日本的な学年で数えると筆者の一つ先輩になるが、偶然、ベニテスの長女と筆者の長男の年齢も一つ違い(こちらの場合はうちの息子のほうが年上になる)で、地元の高校でたった2人しか選択しなかったラテン語クラスで机を並べた。

 息子に聞くと「人柄の優しい、非常に育ちの良い少女」という印象だったという。そして英国でも上位の優秀な大学に進学し、語学を学んだらしい。

 またベニテスの次女と筆者の長女が同級で、一緒にアイスランドへ修学旅行に行ったという話を聞いたことがある。

 2004年にリバプール監督に就任した当時は5歳と2歳か。非常に幼かった2人の娘がその後、子供時代の重要な6年間を当地で過ごし、どうやら完全に英国に定着したようだ。だから、これと同じ理由で脅迫があった時は、家族を思ってエバートン監督就任を諦めるかもしれないと思った。

 しかし、ベニテスは敢然と着任。就任直後の「スカイ・スポーツ」ニュースでレポーターもそうコメントしていたが、自宅からわずか30~40分の運転でトレーニング場に通える環境は、ベニテスにとって何ものにも変え難い魅力だったのではないだろうか。

 特に中国へ単身赴任した直後ではなおさらだろう。2010年にリバプールを去ってからは家族と離れた監督生活が続いたベニテスが、どのような思いでエバートンを率いるのか。その背後には特別な執着と愛がある。これは決死の覚悟だ。

 とすれば、今季のレスターが並みいる6強に割って入り、シーズン最終戦までCL出場権を争ったように、ベニテスが率いる来季のエバートンが上位を脅かす台風の目となる予感がして仕方がない。
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(森 昌利 / Masatoshi Mori)



森 昌利

もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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