131年ぶりの“掟破り”…エバートン就任劇が起きた背景 実直な男の地元“リバプール愛”
宿敵2クラブを率いる監督の誕生は実に131年ぶり
そもそもマージーサイドの両クラブの監督を経験した人物は、これまでにただ1人だという。そんな人がいたのかと思ったら、1888年のフットボールリーグ創立年にエバートン監督に就任、そしてクラブ創立年の1890年にリバプール監督に就任したウィリアム・エドワード・バークレーがいた。
なんと131年ぶりの出来事となる。けれども、それもこれまで両クラブ間に存在し続ける敵愾心(てきがいしん)からすれば当然だ。しかもだ、ただでさえ前例が131年前の一度きりだというのに、ダービー直後に愛するクラブを「小さなクラブ」と呼んだ憎き敵将ベニテスを招聘するなど、もってのほかである。
だから、ベニテス私邸の近所の家(その家をベニテス邸と勘違いしたという推測だが)の前に、「お前の家はどこだか分かっている。エバートンの監督にはなるな」といった脅迫ののぼりが立てられたという事件が起こったと聞いても、まったく不思議はなかった。
ところがこうした逆境を乗り越えて、エバートンがベニテスと正式に3年契約を結んだのである。
まず、その第一の理由は、ベニテスの監督業に対する実直な愛と自信である。
ベニテスの実績は間違いなく、超一流だ。2016年にニューカッスル監督を引き受けて、一段下のメリーゴーランドに乗ったという印象は生まれたが、それ以前の履歴はバレンシア、リバプール、インテル、チェルシー、ナポリ、レアル・マドリードと渡り歩き、リーグとUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の優勝争いに加わるクラブを率い続けてきた。
リバプール時代のベニテスに仕えたスティーブン・ジェラードは、スペイン人知将を「最高の監督」と呼ぶ。ただし「戦略的」という枕詞とともに。
このエピソードからも、ベニテスがラテン人らしい緻密な戦略家だということが伝わってくる。サッカーを学び、知り、研究し、新たな戦い方を生み出すことが何よりも好きで、得意で、そこに自分の存在価値のすべてを見出すタイプの監督だ。
勉強を怠らないベニテスだから、その自信は論理に裏付けられている。どんなチームを率いても、ベターな成績を上げる策を常に編み出せるのだ。しかも“校長先生”と呼びたくなる風貌とピッタリと重なるような、実直な性格の持ち主でもある。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。