日本の“逸材”田中碧、ドイツ2部移籍に驚き 好条件オファーをもう少し待てなかったのか
【識者コラム】海外進出に驚きなしも、東京五輪直後の“ドイツ2部行き”は妥当だったのか
田中碧の移籍が決まった。才能や経験値を考えれば、十分に海外進出の機は熟していたから驚きはない。驚いたとすれば、ここまでタイミングを引っ張ったのに、移籍先がドイツ2部のデュッセルドルフだったことだ。
もし、この移籍が報道通り単純に「買い取りオプション付きの1年間のレンタル」だとしたら、デュッセルドルフはノーリスクの宝くじを拾い上げたようなものだ。1シーズン試して売れると判断したら買い取って転売すれば、差額がほぼ純益になる。例えば長友佑都(現マルセイユ)の場合も、FC東京はチェゼーナに買い取りオプション付きで貸し出した。だがチェゼーナが長友を買い取り、インテルに転売した時には共同保有者として利益を得られる契約を結んでいたという。まずは川崎フロンターレも、デュッセルドルフと同様の契約を結んでいることを願うばかりだ。
残念ながらドイツの2部リーグを、現地で取材した経験は数えるほどしかない。だが田中のようにJリーグでもトップクラスの実績を持つ選手にとって、必ずしも高いハードルとは言えない。同じく川崎からボーフムへ移籍したチョン・テセ(現FC町田ゼルビア)は、加入1年目のシーズンから10ゴールを挙げ、瞬く間にクラブのアイドルに近い存在になっていた。
「こちらでは1対1を重視するので、逆に1人外せばビッグチャンスになる。カバーリングをはじめとする組織的で粘り強い守備は、Jリーグのほうが上だと思いますよ」
もちろんチョン・テセがパワフルなタイプだったこともあるが、同時期に2部のコットブスでプレーしていた相馬崇人の試合を見ても、概して日本人選手が技術や判断などで優位に立てていたことは間違いない。つまりJリーグを独走する川崎のレベルが、デュッセルドルフより劣るとは思えない。しかも東京五輪がなければ、田中はフル代表のレギュラーに定着していてもおかしくなかった。22歳という年齢を考えても、日本代表のグループの中で最優良株に近く、もう少し好条件のオファーを待てなかった理由が分からない。五輪出場を認めてくれるクラブが少なかったのかもしれないが、それにしても田中の場合は、大会を経て評価を上げることはあっても下げてしまうのは考え難かった。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。