ハンガリーがドイツに起こしかけた「奇跡」 67年前と変わらぬグッドルーザーの姿
【識者コラム】ドイツ相手に2-2と大健闘、グループリーグ敗退もEUROでインパクト残す
1954年6月、雨のベルンでは西ドイツ(当時)が3-2で勝利した。2021年6月、ミュンヘンでの試合は2-2だった。67年を経過して、ドイツとハンガリーの立場は大きく変化している。ただ、スコアがどちらも実状を反映していないのはサッカーらしいかもしれない。
欧州選手権(EURO)のグループFはドイツ、フランス、ポルトガルが同居する「死の組」だった。ハンガリーに取りこぼしたら脱落と言われていた。しかし、どこをどうみても格下のハンガリーは、初戦こそ0-3でポルトガルに敗れたが、フランスに1-1、ドイツに2-2と思いがけない大健闘を見せた。最後のドイツ戦は先制し、追いつかれてから突き放し、終盤に同点にされはしたが、もう少しで勝てるところだったのだ。涙を流しながらサポーターの大声援に応えるハンガリーの面々は、グループリーグ4位に終わるも堂々たる敗者だった。
67年前、スイス・ワールドカップ(W杯)決勝で敗れた時のハンガリーも、グッドルーザーだった。キャプテンのフェレンツ・プスカシュは西ドイツのフリッツ・バルター主将に歩み寄って握手している。この決勝は「ベルンの奇跡」と呼ばれるサッカー史上最大級の番狂わせだった。当時はハンガリーの圧倒的優位とされていたのだ。マイティ・マジャール、あるいはマジック・マジャールと呼ばれた史上最強のナショナルチームだった。
1950年6月のポーランド戦から32戦して28勝4分0敗。平均得点が4.5ゴールというモンスターチームである。EUROで6万人の観衆を集めたスタジアムにその名を残すプスカシュを筆頭に、サンドロ・コチシュ、ゾルタン・チボール、ヨセフ・ボジクなど名手が並び、華麗なパスワークとスピーディーな攻撃でイングランド、イタリア、ソビエト連邦など、当時の強豪国を次々と蹴散らしている。
スイスW杯では優勝候補筆頭、西ドイツとはグループリーグで対戦して8-3と大勝している。これは西ドイツがメンバーを落としていた事情もあったが、それもどうせハンガリーには勝てないと認めていたからだ。現在とはレギュレーションが違い、プレーオフがあったので西ドイツはトルコに二度勝つ作戦を立て、決勝トーナメントでのブラジル、ハンガリー、ウルグアイとの対戦を回避している。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。