EURO最注目の「シンデレラストーリー」 27歳“遅咲きアタッカー”にドイツが熱狂

オランダからもA代表招集の誘い…悩んだ末にドイツを選択

 電話の向こうでレーブは、ベルガモのコロナの状況を心配そうに尋ねてきたという。ベルガモは当時、イタリアのなかでも厳しい状況になっていた。その後、昨季(19-20シーズン)のパフォーマンスについて話が移っていった。

「監督は僕の昨シーズンについて話してくれて、それからドイツサッカー協会が何度も視察して、僕のパフォーマンスは代表招集にふさわしいものだったって言ってくれたんだ」

 本来レーブは20年3月に予定されていたイタリアとスペインとの親善試合でゴセンスを招集したかったのだが、両試合ともコロナの影響で中止になっていた。

「監督は僕がドイツ代表でプレーしていることを望んでいて、次の代表戦で招集したいと話してくれた。信じられない気持ちでいっぱいだったよ。夢のような話だ。メディアで噂話が出ていたのは知っていたけど、まさかって思った。恋人も隣で聞いていたんだけど、電話が終わったあと、最初2人とも黙ったままだった。そのあと車をまた運転したんだけど、トンネルの中では喜びのあまりクラクションを鳴らし続けてしまった(苦笑)」

 その後、休暇先のホテルに着いたゴセンスは、両親に電話で自分の夢が叶ったことを伝え、その後、親友にだけ連絡をした。

 レーブがゴセンスに連絡をしたその数日前、実は当時のオランダ代表監督ロナルド・クーマンからもコンタクトがあった。ゴセンスの父親はオランダ人で、母親がドイツ人。オランダとの国境近いエンメリッヒで生まれた。ゴセンスはドイツとオランダの国籍を持っている。

「昨シーズンのことを祝福してくれて、オランダ代表についての話をしてくれたんだ」

 クーマンは即答を求めなかった。じっくり考えて、次の代表戦2週間前に答えを聞かせてほしいと告げていた。ゴセンスは悩んだ末に、ドイツ代表でプレーすることを選ぶ。

「レーブ監督も、僕がオランダ代表でプレーできることを知っていた。どちらの国のほうに僕の心が近いと感じているかで決めた。僕にとって、それはドイツだった。ドイツで生まれ育ったし、結びつきはドイツのほうが強いんだ。2つのサッカー大国の間で決断をしなきゃいけないなんて、それもすごく信じられないことなんだけど」

中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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