エリクセンの心停止がサッカー界に問うもの 加速する「拝金主義」と選手の肉体的限界
進化した救命措置、エリクセンは倒れてから1分以内にAEDを使用
普通の人間なら、自分の心臓の限界を超えるほど動けるものではない。しかし、厳しいトレーニングを積み上げ、90分間をプロの舞台で走り続けることができるサッカー選手は、その自らの心臓の限界を超えてさらにもう一歩を踏み出すほど、肉体を酷使してしまえるのだ。
ただし、こうした心停止は適切な処置、特にAEDを使って速やかに電気ショックを与えた場合、一命を救う可能性は非常に高くなる。
ムアンバが倒れたトッテナムの旧本拠地ホワイト・ハート・レーンには、フォエが倒れたフランス・リヨンの現場でも取材していた原田公樹記者がいた。約20年間、プレミアリーグの取材をともにした盟友だが、彼がカメルーン代表MFの悲劇を目撃した9年前に比べ、ロンドンの処置は「はるかに進歩していた」と話してくれたことが強く印象に残っている。
それもフォエが28歳の若さで犠牲になったことが要因であることは間違いない。ムアンバの心停止は、前例があったことで最悪の事態を回避することができたのだ。
話をエリクセンに戻そう。ムアンバの一件から、世界はさらにこうした不慮の事態に対する備えが進んだ。ムアンバの奇跡からさらに9年が経過した2021年6月12日、デンマーク代表MFが倒れて1分も経たずに、AEDが使用された。
スタンドからピッチに泣きながら駆け降りてきたエリクセンの妻サブリナさんは、夫に駆け寄る前にデンマーク代表主将のGKカスパー・シュマイケルに抱き止められた。そこにチームメートのケアーが走り寄り、サブリナさんに何かを話しかけた。AEDを使用して、エリクセンが“息を吹き返した”と伝えたという。
つまり、準備は万端だったわけだ。
しかし同時に、サッカーの試合でなぜここまでしなくてはならないのだという疑問も生じた。
もちろん、不慮の事態に備えることは不可欠であり、その備えは常に進歩すべきだろう。しかしエリクセンの心臓に全く欠陥がなかったというニュースで、筆者の胸に一抹の不安がよぎった。健康な心臓の持ち主だったデンマーク代表MFに起こったことなら、この後、誰にでも起こり得るということでもある。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。