久保裕也はどうやってコロナ禍に適応した? 家族との“米国奮闘記”を地元紙がレポート
最も幸せな時間は「家に帰って、息子の顔を見る瞬間」
日本代表として13キャップを数えるFW久保裕也は、2020年1月に米MLS(メジャーリーグサッカー)のFCシンシナティに移籍した。2021年シーズンも開幕6試合連続で先発出場しているが、コロナ禍でどのようにアメリカでの生活に馴染んでいったのかを地元紙「Cincinnati Enquirer」が特集している。
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久保は現在27歳と、これからキャリアのピークを迎えようとしている。欧州ではなく、アメリカで海外組としてサッカーをプレーする選手は珍しいが、最も幸せな時間は練習後に訪れるという。「家に帰って、息子の顔を見る瞬間が一番好き」という久保は、「朝、目が覚めて息子の顔を見ると、毎日幸せな気持ちになる。僕は毎日、楽しみたいんだ」と、話している。
2013年にJ2の京都サンガF.C.からスイス1部ヤングボーイズに加入し、すでに8年近く海外で過ごしている久保。それでも、2020年にヨーロッパからアメリカに移籍した時の変化は大きかったようだ。
2020年シーズンは、3月7日のアトランタ・ユナイテッド戦(2-1)で初ゴールを記録。久保は家族とシンシナティの街を歩き、アメリカの文化にも慣れていっていたが、3月に新型コロナウイルスが世界的に流行し、状況が一変したという。知らない街、知らない人々、知らない言葉という順応しなければならないもののリストに、コロナ禍が加わった。MLSのシーズンは中断となり、久保の家族は家の壁と窓からシンシナティの街を見ることになった。
この時期を「家族全員にとって難しい時間だった」と久保は振り返るが、「それでも、その3~4カ月を家族と過ごせたから良かったと思う」と、練習や遠征に行く時間を家族と過ごせたと前向きに語った。
その後、6月29日のMLS再開トーナメントまで家族と過ごせた。7月上旬まで続いた大会期間中、家族と離れた久保は「妻はアメリカでの生活に慣れていなく、息子と2人きりだったから大変だったと思います。僕は毎日電話をして、どうしているか聞いていました。でも、本当に大変だったと思います」と話した。
アメリカでの生活も1年以上が過ぎ、久保と彼の家族には日本食レストランで現地の日本人の友人もできたという。久保自身も英語を話せるようになり、年内には次男も誕生する予定だという。アメリカでの1年目では、公式戦20試合で3得点を記録した久保。環境に慣れた2シーズン目は、さらなる活躍に期待が懸かる。
(FOOTBALL ZONE編集部)