横浜FMで学んだプロとしてのあるべき姿 “プリンス”星大輔を支え続けたポリシーは?
地元クラブの町田をJ2昇格に導く“有終の美”
2010年、「どこかのタイミングで、地元でプレーしたい」という思いを実現させる形で、町田へ移籍。当時JFLのチームをJリーグに昇格させる一心で2年間プレーし、11年にはJFL最終節のカマタマーレ讃岐戦(2-0)でシーズン初ゴールを決め、J2昇格に貢献した。現役ラストイヤーの11年は、まさに満身創痍だったという。
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「足の骨折、アキレス腱断裂、グローインペイン症候群を経験して体はもうボロボロ(苦笑)。2010年の夏以降は朝起きるのもやっと、グラウンドに行くのもやっとで、騙し騙しでやっていました。2011年開幕前、『今シーズン、しっかりチームを昇格させて辞めよう』と自分の中で決断して。東日本大震災直後だったので、昇格することで、町田から日本を復興させるという気持ちもありました。(ランコ・ポポヴィッチ)監督と唐井(直)ゼネラルマネージャー以外には、引退のことは伝えずにシーズンに臨んでいました。サブが多かったですけど、1年間戦い抜くことができて、最後にゴールも決められて良かったです」
惜しまれながらも選手生活にピリオドを打った星は、町田のクラブスタッフを経て、現在は町田市議会議員として日々奔走している。現役時代、セカンドキャリアに向けて「準備は特にしていなかった」と明かす一方で、地元への思いが次なる道に一歩踏み出す勇気となった。
「引退してから動向を決めた形ですが、キャリア終盤はいろんな本を読むようになったり、少し意識が変わっていました。きっかけはアキレス腱を断裂した2008年、西が丘のJISS(国立スポーツ科学センター)で何カ月もリハビリするなかで、陸上、体操などたくさんのアスリートの方々と接したこと。個人アスリートの方は、何歳で引退して、いくら貯金が貯まっていて、投資をして、と明確なビジョンを持っている。食事の時はそんな話ばかりで、私も紹介してもらった投資の本を読みました。引退発表の直後には、以前所属していたクラブから『引退すると聞いたけどどうするんだ』『こっちに戻ってこないか』とオファーもいただきました。ただ、自分が何をしたいのか、何ができるのかまだ定まっていないけど、地元で最後にプレーさせてもらったので、この町田でなんとか仕事をしていきたいと思いました」
少年サッカーの盛んな街として知られた町田に貢献したい――。そんな思いが、セカンドキャリアで星を突き動かす原動力となっていく。(文中敬称略)