「緊張感の連続だった」 韓国代表DFが語る中国強豪での日々「お金がすべてではない」
G大阪DFキム・ヨングォンが振り返る広州恒大で過ごした6年半
韓国代表DFキム・ヨングォンは2019年からガンバ大阪でプレーしているが、その前には6年半にわたって中国スーパーリーグの強豪・広州恒大でプレーした。国内リーグ優勝5回のほか、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇を2度経験。助っ人としてクラブの黄金期を支えた。
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隆盛を極めた中国スーパーリーグで過ごした日々は、キム・ヨングォンのキャリアにとってどんな経験になっているのだろうか。オンライン取材で本人に話を訊いた。(取材・文=金 明昱)
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キム・ヨングォンは2010年にJリーグのFC東京でプロデビューすると、翌11年から大宮アルディージャでプレー。そして19年から現在のG大阪に所属しているため、日本でのプレーが比較的長い印象が強い。
だが、彼は12年夏から18年までの6年半、中国スーパーリーグの広州恒大でプレーしている。中国クラブへの移籍を選んだ理由について、こう語る。
「約2年半、Jリーグで過ごしたあと、中国からオファーが来た時は悩みました。中国リーグの環境は日本よりも良いとは言えなかったのですが、広州は中国のクラブチームの中でもかなりの投資をしていました。常にリーグ優勝を狙えるチームであり、ACLでも優勝を狙えるチームだったので、新たな挑戦をしてみたいと思ったからです」
日本のサッカーを経験した後の中国挑戦――。地理的にも近く、東アジア圏ではあるが、慣れるまでには時間がかかると思っていたが、「こう言ってはなんですが、サッカーの環境に慣れるのはそこまで難しくなかったんです」と笑う。
移籍した当時、元韓国代表MFチョ・ウォニ(現・水原FC)が所属していたことが大きかったという。
「チョ・ウォニ先輩が広州での生活からサッカースタイルまで、隣で一つひとつ教えてくれました。だから私はサッカーにだけ集中すれば良かった。その結果、中国のサッカーに慣れるのが早かったのだと思います」
先陣を切って中国でのプレーを開拓していた先輩に助けられ、すぐに主力へと成長したキム・ヨングォン。しかし、チーム内での競争も激しさを増していた。当時の広州は、監督や選手の獲得に多額のマネーをつぎ込んでいたからだ。
金 明昱
1977年生まれ。大阪府出身の在日コリアン3世。新聞社記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めた後、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。2011年からは女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子ゴルファーと親交を深める。現在はサッカー、ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。近著に『イ・ボミ 愛される力~日本人にいちばん愛される女性ゴルファーの行動哲学(メソッド)~』(光文社)。