ファンが今最も見たいのは「川崎対日本代表」? 36年前の同胞対決と“トラウマ”
【識者コラム】本気度が高かったA代表とU-24代表の一戦、“同胞対決”で思い出される読売クラブとの試合
ジャマイカ代表との試合が流れて、急遽実現した日本代表とU-24日本代表の“兄弟対決”は3-0でA代表が勝利した。森保一監督が兼任する2つのチームなので、同じチーム内の紅白戦とも言えるのだが、いざやってみるとけっこう本気度の高いゲームになっていた。
A代表からすでにオーバーエイジ枠でU-24代表に合流していた吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航は先発せず。遠藤は後半途中からフィールドに出たが、吉田と酒井は出番なし。遠藤も使いたくなかったかもしれないが、田中碧とのコンビに少しでも時間を取りたかったという事情ではないかと思う。
1985年のキリンカップで、日本代表vs読売クラブ(現・東京ヴェルディ)という試合があった。
今回の兄弟対決と同じではないが、日本代表の主力が読売クラブに所属していたために、同胞対決という構図になったのは少し似ていたかもしれない。1-0で読売が勝っているのだが、「できればやりたくなかった」と選手たちは話していた。
当初、キリンカップは外国のチームを招待し、日本からは2チームがエントリーしている。1978、79年は日本選抜、80年からは単独チームとなってフジタ工業、三菱重工、日本鋼管、ヤマハ発動機が出ていた。84年はユニバーシアード代表。そして85年にリーグと天皇杯の二冠だった読売クラブが出場している。ただ、これ以後は日本から代表以外のチームが出場することはなくなった。代表が読売に敗れたことが問題視されたからだ。
当時の読売には日本代表の加藤久、松木安太郎、都並敏史がいて、元代表の戸塚哲也、川勝良一、のちに日本国籍を取得して代表メンバーになる与那城ジョージ、ラモス瑠偉もいた。
森孝慈監督の率いる代表は攻撃陣が木村和司、柱谷幸一、水沼貴史、金田喜稔の日産自動車、守備陣が読売クラブという編成になっていたので、読売勢の離脱は大きなマイナスだった。一方、読売のほうもキリンカップに出場していたウルグアイ代表などと戦うのに代表メンバーは不可欠で、彼らがいないダメージは代表より大きかったと言える。読売のルディ・グーテンドルフ監督は「岡田武史(古河電工・日本代表)を貸してくれ」と代案も出していたようだが、結局、加藤らは読売クラブで出場することになった。
西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。