Jリーガーから国立大の准教授へ 元浦和MF、引退後の道を切り拓いた飽くなき探求心
進路を変えた恩師の一言、大商大を経て埼玉大へ
大阪の知人が筑波大出身の指導者を探している――。恩師のこの一言で進路が一変した。
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西日本屈指の強豪、大阪商業大学の上田亮三郎監督に「プロもいいが、アマチュアの指導も重要ですよ。若いうちは育てる仕事をしたほうがいい」と3時間ほど諭された。元々大学の先生になりたかったこともあり、伝統校の指導者と教員という魅力に惹かれFC東京に断りを入れた。
大商大には講師などで99年4月から2007年3月まで勤務する。サッカー部ヘッドコーチとして、名古屋グランパスなどで活躍したDF増川隆洋を3年間指導。02年の地域対抗戦、デンソーカップでは浦和で同期の佐藤慶明監督(現・大阪産業大学准教授)が率いる関西Bチームのコーチを担い、初優勝に貢献した。
西村昭宏、高木琢也ら多くの日本代表を育てた上田監督について「スパルタだと思っていたら、すごく繊細なので驚いた。フィジカルのデータなどを方眼紙にきめ細かく記入していた。実績ある指導者の実像に触れて見識が深まった」と回想する。
04年12月、埼玉大学と浦和レッズ、大宮アルディージャは三者の資産や情報などを活用し、地域に貢献する協定を結んだ。その一環として埼玉大は05年4月、両クラブや埼玉県サッカー協会、メディアなどから講師を招き、『スポーツ・マネジメント概論』という講座を開講。講師の選定やテーマを企画・提案したのが菊原で、大商大講師として立ち上げから2年間、授業を受け持った。
1908年(明治41年)に埼玉大教育学部の前身、埼玉師範学校に蹴球部が立ち上がり、2008年は埼玉にサッカーが誕生して100周年の節目を迎えた。埼玉大では記念行事の準備に入り、サッカー部監督が不在という事情もあって大商大から菊原を招請する。
国立大学が04年に法人化され、学長の裁量で教員4人を採用できる制度を活用したのだ。菊原は大商大からの割愛採用という形で07年4月、埼玉大教育学部の講師として着任し、サッカー部監督も兼任。10年に准教授となり、これまで奇想天外な授業や文化活動を展開してきた。
判断力や洞察力、分析力の育成を目的に12年から『スポーツで養う思考力』という授業に囲碁を取り入れ、日本棋院の酒井真樹九段に講師を依頼。「サッカーも囲碁も戦術が重要という類似点があり、空想の世界である囲碁を日常的に打つと発想が豊かになるんです」と解説する。
また起伏やクッション性など、グラウンド環境が選手の技術向上や安全性にどう関与するのかを調べようと、大学のサッカー場を学生とともに約3年費やして天然芝に“衣替え”した。短編映画の制作にも参画し、18年には部活動の指導者と選手を題材にした作品をプロデュース。第2弾として囲碁とブラインドサッカーを融合させた映画を立案中だ。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。