C・ロナウド、“マンU復帰”へ動き出す? 1本の移籍記事に信憑性を感じた理由
【英国発“ゴシップ”斜め読み】“超人”ロナウドのレアル移籍はプレミアの凋落を呼び込んだ
クリスティアーノ・ロナウドがイングランドを去った時の衝撃をどのように表現すればいいのか。本当はその1年前の2008年夏に移籍をしたかったという。しかしプレミアリーグとUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の究極の2冠を達成した直後のことで、ここで引き抜かれてしまえば、マンチェスター・ユナイテッドも所詮レアルのユースに成り下がってしまうと直感したアレックス・ファーガソン監督が、「今年は俺が死んでも移籍はさせない」と言い張り、1シーズンだけ待たせた。
イングランドという土壌が生んだ”最高形”とも言うべき、あの天才児ウェイン・ルーニーでさえ、隣に並ぶと格落ちに見えた24歳当時のロナウド。だから誰もが知っていたことで、予定調和そのものだったのだが、それでもあの異次元のレベルに達したポルトガル人FW(この時点ではMFか? いや、その両方の領域を驚異的な運動量で完全に制圧していた)がユナイテッドを去ったことで、欧州におけるイングランドのフットボール的重力が軽くなったのは間違いない。
“スキルの国”ポルトガルからやってきたラテン人がフィジカルなイングランドで肉体改造に成功し、これまでに誰も達したことのない高みに立った選手がロナウドだった。
そんな超人的選手がいなくなると、2000年代半ばから、毎年のようにCL決勝に残ったイングランド勢が突如として苦戦し始め、ロナウドの移住先であるスペインでは、超人の登場で“天才”リオネル・メッシがさらに覚醒し、2010年代はレアル・マドリードとバルセロナが完全に欧州を牛耳る形になった。
そしてそのロナウドが去った後のスペインの凋落ぶりは、言わずもがなである。
個人的な話をすると、リバプールファンにとって最も身の毛のよだつ“たられば話”は、もしもロナウドがユナイテッドにずっと留まっていたら――というものだろう。
リバプールサポーターにとっては幸いながら、不世出の名将ファーガソン監督が2013年に勇退してから、ユナイテッドは本当に静かな“レッド・デビルズ”になっているが、もしもロナウドが残っていたら、その後も数年スコットランド人闘将がモチベーションを下げず、監督を続けていたかもしれない。もしくはあの時点で勇退していても、ロナウドが無事ならプレミアでも毎年確実に30ゴール以上を記録したことだろう。「20」で止まった優勝回数が、一体どこまで伸びたことだろうか。もしかしたらデイビッド・モイーズが、今でもユナイテッドの監督でいるかもしれない。
森 昌利
もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。