“天才”と呼ばれた兄と同時加入 浦和で1年のみのプロ生活、「衝撃を受けた」選手は?
同期の山田暢久に脱帽「サテライトの試合で一緒にやって衝撃を受けた」
明らかに走り過ぎだった。「なぜ8人も同じ怪我をしたのか、グラウンド環境はどうあるべきなのか。あの経験があったから、今の仕事でこれに関連する事象なども解明できている。プロになって見えた世界があり、それが今の自分の根源になっています」と学者らしい見解を述べた。
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持久力とフィジカルの強さが足りなかったが、体を鍛えていく過程で切れ味が出てくる変化を感じ取れた。筋膜炎に邪魔されなければ、トップチームでやれた自信があっただけに悔いが残る。兄と一緒にプレーできなかったことも心残りだ。
最も熱弁を振るった浦和時代の思い出が、J1で501試合に出場した同期の山田暢久についてだ。
「サテライトの試合で一緒にやって衝撃を受けた。のらりくらりとプレーするので相手は捕まえられると錯覚するが、捕まえようとするとウナギのように逃げる。持久力、スプリント、中・長距離もこなせてしなやか。なんでも持っているのに出さない。さぼる。これが世界の選手」
山田のほかにも、ギド・ブッフバルトとウーベ・バインという90年イタリア・ワールドカップ優勝メンバーが間近にいて、世界を感じられたことも貴重な体験になったそうだ。
“志郎の弟”というのは中学までの慣用句。その後の菊原は、あらゆる可能性を探求するフロンティアになった。(文中敬称略)
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。