“天才”と呼ばれた兄と同時加入 浦和で1年のみのプロ生活、「衝撃を受けた」選手は?

埼玉大学サッカー部監督として指導する菊原准教授【写真:本人提供】
埼玉大学サッカー部監督として指導する菊原准教授【写真:本人提供】

【元プロサッカー選手の転身録】菊原伸郎(元浦和)前編:“兄弟Jリーガー”としても話題、兄とは異なる道でプロの世界へ

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
 
 今回の「転身録」は、浦和レッズに1994年シーズンに1年間在籍した菊原伸郎(50歳)だ。1歳年上の兄・志郎と“兄弟Jリーガー”となったが、怪我もありわずか1年で現役を引退。その後は浦和のクラブスタッフ、大学院進学などを経て、現在は埼玉大学教育学部の准教授として同校サッカー部監督も務めている。前編では“天才”と呼ばれた兄とともに、浦和で過ごした1年間の現役生活を振り返った。(取材・文=河野正)

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 Jリーグが“期限付き移籍”という聞き慣れない制度を導入したのが、1994年のことだった。ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)から浦和レッズにやってきたMF菊原志郎が、その第一号選手である。

 V川崎の前身である読売クラブと15歳でプロ契約した志郎は、高校1年の1986年2月に16歳6カ月25日で日本リーグにデビュー。森本貴幸(当時・東京V)が、2004年のJリーグに15歳10カ月6日で出場するまで、国内トップリーグの最年少出場記録を18年間も保持していた。

 その志郎とともに年子の弟、菊原伸郎も94年に筑波大学から加入し、兄弟Jリーガーとして話題をさらった。

 小学3年生の時、日本テレビが主催する夏休みイベント『スクスクスクール』に兄弟で参加したことが縁で、2人とも小学校から中学まで読売クラブに所属。高校生になると兄はトップチームに昇格し、弟は読売を離れて神奈川の進学校、県立相模原高校サッカー部でプレーした。

 なぜ、そのまま読売ユースA(高校チーム)に進まなかったのか。

「自分も兄貴と同じ道を通り、プロになれるものだと思っていましたが、ちょっと違うな、兄には勝てないなと感じてきましてね。“志郎の弟”としてサッカー界でやっていくのか、違う生き方もあるのではないか、そんなふうに思うようになりました」

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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