浦和との“引退試合”で起きた奇跡 プロ生活10年の左SB「神様っているものだと…」

京都でレギュラーとして活躍、愛媛に移籍して実感した「サッカーができる喜び」

 2004年第1ステージ終盤の6月、三上は同時期に柱谷幸一が監督に就任したJ2京都パープルサンガ(当時)へ移籍。03年に浦和のコーチとなった弟の柱谷哲二が、才能を開花させてほしいと兄に依頼したのだ。この移籍をきっかけに三上はサッカーマンとして、人として成長していった。

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 すぐに左SBのレギュラーとなって19試合に出場。2年目は開幕から38試合連続で先発出場し、チームの3年ぶりのJ1復帰に尽力した。

 京都での思い出はたくさんある。

 移籍した年、柱谷監督からこのまま成長を続ければ日本を代表するSBになれると鼓舞された。

「ものすごくモチベーションが上がり、もっと頑張ろうと誓いました」

 京都での最終シーズンとなった07年、ともに元日本代表DFの秋田豊と森岡隆三が移籍してきた。「2人とも指導者のような目線で練習に取り組み、いろいろ話せてとても勉強になった。試合中も周りを落ち着かせるのがすごく上手でした」と老練から多くを吸収したそうだ。

 悩まされたのが怪我だ。05年にグロインペイン症候群に苦しみ、07年には右すねの疲労骨折。体の大切さを痛感し、筋肉を良い状態に保つ初動負荷の練習やガニ股の矯正など、体の使い方についても学んだ。

 京都でチームメートだったJ2愛媛FCの石丸清隆コーチが、疲労骨折によるリハビリ中の身でありながら声をかけてくれた。移籍した愛媛には08年から4年間在籍し、1年目からリーグ35試合、2年目には主将を任され29試合に出場した。

「プロになってサッカーが本当に楽しいと感じたのは、愛媛に来てからなんです。もう一度、ゼロからやってみようと気持ちを新たにし、目標を持って努力することの楽しさ、サッカーができる喜びを実感した。ファンやスポンサーなど、支援者のありがたみも知りました」

 愛媛では自分で練習着を洗濯して管理する。今までとは全く違う環境でも純粋にサッカーを楽しめた。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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