浦和との“引退試合”で起きた奇跡 プロ生活10年の左SB「神様っているものだと…」
【元プロサッカー選手の転身録】三上卓哉(元浦和、京都、愛媛)前編:悔しさだけが残った浦和での2年半
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
今回の「転身録」は浦和レッズ、京都パープルサンガ(当時)、愛媛FCに所属した三上卓哉(41歳)だ。2002年に加入した浦和では思うように出場機会を得られなかったが、京都、愛媛では主力としてプレー。現役引退後はサラリーマンとなり、現在は地元の浦和に小規模保育施設「ルアナ保育園」を開所し、管理者としての日々をスタートさせている。前編ではプロとしての厳しさに直面しながらも、3クラブを渡り歩いた10年間のプロキャリアを振り返る。(取材・文=河野 正)
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ハンス・オフト監督が就任した2002年、浦和レッズには前年のユニバーシアード北京大会で優勝した全日本大学選抜の陣容から、5人のレギュラーが加入した。駒澤大学のDF三上卓哉は生粋の浦和っ子とあり、地元の人気クラブの一員となって胸を高鳴らせたものだ。兄の和良もヴィッセル神戸やヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で活躍した元Jリーガーだった。
埼玉の強豪・武南高校から駒大へ進み、ボランチから左サイドバック(SB)に転向した2年生でレギュラーを獲得。豊かな才能にまずアビスパ福岡のスカウトが目をつけた。
3年生になると全日本大学選抜候補合宿に初めて招集され、この幸運がプロへの道を加速させた。左SB石川竜也(筑波大)が故障で参加を回避したため、駒大の同僚である右SB木村誠が代役で指名されたのだが、体調不良でこちらも辞退。三上にお鉢が回ってきたのだ。
2001年のユニバーシアード北京大会では日本の2度目の優勝に貢献。この時の守備ラインは左から三上、小林宏之(筑波大3年)、坪井慶介(福岡大)、平川忠亮(筑波大)という布陣で、ボランチの堀之内聖(東京学芸大)、2列目の山根伸泉(国士舘大)も含め全員が浦和に加入した。
福岡、FC東京、浦和の中から生まれ育った地元クラブを選んだが、立身出世の夢は打ち砕かれ浦和での2年半は悔しさだけが残った。
「プロ選手になれた喜びと驚きを持って入団しましたが、1年目は焦りしかなかった。どうしよう、どうしようって感じでした」
坪井がリーグ開幕戦から先発し、平川も7月からレギュラーに定着した一方で、三上はリーグ戦、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を通じてベンチ入りすらできず、初戦で敗れた福岡との天皇杯3回戦の先発が唯一の公式戦出場だった。
思い出の試合を尋ねても「Jリーグデビュー戦も初先発した試合もほとんど記憶にないです。デビュー戦の相手は磐田ですか? 初先発は柏? 覚えていない」といったあんばいで、「強烈なインパクトを残した試合もありませんね」と苦笑する。
大勢の若手を育てたオフト監督からは「もう少しだぞ」と言われ続けたそうだが、「後から考えるといくつか思い当たることもあったが、当時は未熟で“もう少し”の意味が分からなかった」と述懐した。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。