「俺らは谷間の世代」 大久保嘉人、アテネ大会予選で感じた重圧と反骨心【五輪代表の舞台裏】
【不定期連載|第1回】大久保嘉人(セレッソ大阪): アテネ五輪最終予選で感じたプレッシャー「プロになって初めて」
数々の名場面を生み出してきた五輪の舞台に、サッカーの日本代表は厳しい予選を勝ち抜き、現在6大会連続で出場している。そして迎えた2021年、新型コロナウイルス禍で東京五輪の開催が1年延期されたなか、森保一監督率いるU-24日本代表は金メダル獲得を目指して再び動き出した。MF久保建英(ヘタフェ)やMF堂安律(ビーレフェルト)、DF冨安健洋(ボローニャ)ら多くの東京五輪世代の選手はすでに欧州クラブで活躍しているが、年代別代表の集大成となる五輪の舞台では、過去にどのようなドラマがあったのだろうか。不定期連載「五輪代表の舞台裏」の第1回は、2004年アテネ大会に出場したFW大久保嘉人(セレッソ大阪)に当時の様子を聞く。(取材・文=Football ZONE web編集部・小杉 舞)
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大久保にとって忘れられない一発がある。当時、A代表にも選出されていた大久保はアジア最終予選のUAEラウンドで代表落ち。突破をかけて2勝1分でUAEから戻ってきた日本ラウンドで復帰した。だが、初戦のバーレーン戦ではベンチスタート。そのまま0-1で敗れた一戦で出番はなかった。
「UAEラウンドは落とされて、『頑張れ』って思っていたけど試合も一切見ていなかった。日本ラウンドは選ばれたいと思いながらいい準備はしていて、そのなかで活躍するしかないというプレッシャー。プロになって初めてのプレッシャーだった」
第1戦で敗れた日本は、バーレーン、UAEと同じ勝ち点で並んだ。そのなかで迎えた第2戦のレバノン戦。大久保は先発メンバーに名を連ねた。前半14分にMF阿部勇樹が先制点を奪うものの、後半22分にカウンターで同点に追いつかれた。しかし、その2分後。大久保が試合を決めた。ヘディングシュートを突き刺し、勝ち越しに導いた。
「レバノン戦から出て、点を取って、ホッとした。ずっと出られないのかなと思っていたし、でも、だからこそ『出た時に』という思いがより強くなった。そう思った時のプレッシャーは凄くて。ダメだったら終わりだから。すごく思い出深い試合やったな、というのは思い出しますよね。(第3戦の)UAE戦も2点取れて初めて快感を覚えたかな」
五輪切符がかかる最終戦のUAE戦はベンチスタート。勝利が求められる日本を救ったのは途中出場した大久保だった。2ゴールを奪い、3-0で快勝。勝ち点で並んでいたバーレーンがレバノンと引き分けたため、日本は3大会連続で五輪切符を掴み取った。レバノン戦での一発は大久保に自信を与え、UAE戦で道を切り開いた。プレッシャーを乗り越え、見えた向こう側にはゴールが待っていた。
「経験したことのないプレッシャーと自信。俺やれるわ、というのがあった」
本大会出場を決めたアテネ五輪代表。メンバー選考ではオーバーエイジ(OA)候補にFW高原直泰の名が上がり「タカさんが(OAに)きたら試合に出られないかも」と感じた。だが、それも予選で掴んだ“自信”が精神面を支えた。
「試合に出ていたし(本大会に選ばれる)自信はあった。まあタカさん(高原)が選ばれたら選ばれたで、タカさんより上にいければ試合に出られるチャンスも出てくる」