J1の“蹴り入れ疑惑”をどう見る? 元日本代表DFが持論「お咎めなしはおかしい」

そもそもフェアプレーとは? 「意図的に蹴ろうとした事実にお咎めなしはおかしい」

「例えば、異なるケースで言えば、自分にボールが当たってタッチラインを出ても、主審が気づかずにマイボールと判定した時、自分はそうじゃないと分かっていても、実際はマイボールとしてリスタートする。そこで『自分が出しました』と自白し、率先して相手にボールを渡すことが正しいとも限らない。正解なんて分からない。だから選手は、試合に勝つこと、それを第一に考えるしかない」

 また、「今の日本のサッカーは、ちょうど狭間にあると思う」と指摘。「ひと昔前は、マリーシアって用語が強調されていたくらいだから、勝つために時にはずる賢さも必要だと言われていた。でも今は、そこから少しずつフェアプレーを重んじる傾向へと傾いている。僕も大久保選手も、前者の世代で戦ってきた選手ではあるんだよね」と、サッカー界の中でも考え方が見直されている転換期にあると感じているようだ。

 そもそもフェアプレーの定義とはなんなのか――。その“あやふやさ”も、今回の件では浮き彫りになっているという。「例えば、大久保選手がもしあの場面で何もアピールしなければ、ファン・ソッコ選手が蹴ろうとした事実はなかったことになっていたわけで、『それがフェアプレーと言えるのか?』という問題が出てくる。意図的に蹴ろうとした事実に、お咎めなしはおかしい。でも、ただ主審に駆け寄ってそれを言葉で主張したとしても、受け流される可能性が高いのが現実としてある」と、栗原氏は状況の複雑さを強調しつつ、選手の立場は明確であると語った。

「はっきりしているのは、選手はチームを勝たせるプロとしてピッチに立っているということ。正しいか間違っているかは別にして、大久保選手も、実際はあの場面も冷静だったはず。主審にどうやったら気づいてもらえるかの最善策を考えた。実際、たまたま当たらなかっただけで、蹴ろうとしたその気持ち自体は、本来はレッドカードなわけだから。そして、あのイエローカードが、勝敗に影響をもたらした事実がある」

 今回の取材の締め括りに、「もしも、現役時代にご自身がピッチで同じことをされたら、どうしますか?」と尋ねると、栗原氏は笑顔を浮かべながら「僕が大久保選手の立場だったら、ピッチに倒れはしないけど、揉み合いには発展していただろうね(笑)。お互いレッドカードで決着のパターンかな(笑)」と、持ち前の“栗原節”を炸裂させていた。

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