年俸180万円からのプロ生活 元Jリーガー小椋祥平は「生き残るため」に“マムシ”になった

横浜FM時代の小椋祥平【写真:Getty Images】
横浜FM時代の小椋祥平【写真:Getty Images】

【元プロサッカー選手の転身録】小椋祥平(元水戸、横浜FMほか)前編:J2から成り上がった16年のプロキャリア「運が良かった」

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

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 今回の「転身録」はかつて横浜F・マリノスや水戸ホーリーホックなどに所属した小椋祥平(35歳)。2004年にJ2リーグの水戸ホーリーホックに加入すると、ボランチとして相手キーマンを密着マークする姿から“マムシ”の愛称で親しまれた。その活躍が認められ、08年に横浜FMへステップアップ。負傷に苦しみながらも19年にヴァンフォーレ甲府でスパイクを脱ぐまで、全力でプロキャリアを駆け抜けた。そんな“雑草魂”を持つ男は今、サッカー界を離れてビジネスの世界へ飛び込んでいる。前編では、年俸180万円から成り上がった現役時代の奮闘を振り返る。(取材・文=藤井雅彦)

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 2020年1月、“マムシ”の愛称で親しまれた小椋祥平の現役引退が発表された。

 最終所属のヴァンフォーレ甲府では自慢のボール奪取能力に加え、司令塔としての役割も果たすなどチームの中心としてプレーした。その証拠に自身ラストシーズンとなった2019年も累積警告で出場停止処分が科せられた最終節を除く41試合に出場。惜しくも敗れた徳島ヴォルティスとのJ1参入プレーオフ1回戦でも先発フル出場している。

 しかしシーズン終了を待たずして告げられたのは契約非更新という厳しい現実だった。甲府ではコンスタントに出場機会を得ていたとはいえ、キャリア後半は本来の力を発揮しきれなかった印象が強い。病気や負傷といった自身のアクシデントだけでなく、財政事情や編成方針といった外的要因にも翻弄された。

 引退から1年以上が経過したが、トレードマークの無精ひげと口角が上がる笑い方はほとんど変わらない。人懐っこくも礼儀正しい姿勢もそのままだ。

「水戸から始まり甲府で終わるまでプロとして16年間プレーさせてもらって、最初は苦しいスタートだったけどトータルで考えると運が良かったと思います。技術的に優れた選手がたくさんいる世界で、それなのに巡り合わせが悪くて消えていく選手を数多く見てきました。自分がプロとしてスタートした頃の技術や立ち位置を考えれば、本当に奇跡のような時間でした。手前味噌になってしまうけど、今、下位カテゴリーでプレーしている選手の希望になるような歩みなのかなぁ、と」

 2004年にJ2の水戸ホーリーホックでスタートしたプロ人生だが、エリート街道とは正反対の日陰道を歩いてきた。プロになる前も、プロになってからも、将来を嘱望される存在ではなかった。

藤井雅彦

ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。

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