豪華メンバー揃いの磐田で見つけた生きる道 太田吉彰が名波浩から授かった“金言”

磐田と仙台でプレーした太田吉彰氏【写真:Football ZONE web】
磐田と仙台でプレーした太田吉彰氏【写真:Football ZONE web】

【元プロサッカー選手の転身録】太田吉彰(元磐田、仙台)前編:黄金期の磐田に加入、自らのプレーに自信を与えてくれた名パサーの言葉

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

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 今回の「転身録」は、かつてジュビロ磐田とベガルタ仙台でプレーし、2007年には日本代表にも選出された太田吉彰(37歳)だ。2019年限りで現役を引退した太田は今、選手時代から愛用しているアスリート用のマウスガード『Neutral』の普及など、様々なプロジェクトに取り組んでいる。前編では黄金期の磐田で生きる道を見つけ、引退後の現在にも生きる偉大なレジェンドからの言葉を紹介する。(取材・文=石川 遼)

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 太田吉彰は18年間の現役生活を全力で駆け抜けた――。振り返れば、波乱万丈なキャリアだった。

 太田はジュニアユース時代から磐田の選手として過ごし、2002年にトップチームに昇格を果たすと、翌03年に天皇杯で初めてプロのピッチに立った。当時の磐田といえば、元日本代表FW中山雅史を筆頭に、藤田俊哉、名波浩、福西崇史、服部年宏、鈴木秀人、田中誠と前線から最終ラインまで“黄金期”を支えたタレントが揃っていた。そんななかで少しずつ出番を増やし、世代交代が進むチームで中心選手の1人になる。07年には試合出場こそなかったが、イビチャ・オシム監督が率いた日本代表に初選出されている。だが、08年に前十字靭帯断裂の大怪我を負い、シーズンの大半を棒に振った。

 09年には磐田を退団し、海外挑戦を目指して海を渡った。オファーがあったわけでなく、フランスやベルギー、ドイツのクラブで練習に参加してチャンスを掴もうとした。最後まで獲得に手を挙げるクラブは見つからなかったが、太田自身「失敗をしたとは思っていません。チャレンジした結果です」と胸を張っている。

 欧州から帰国後、ベガルタ仙台と契約し、2010年から15年まで5シーズンを過ごした。東日本大震災が起きた2011年シーズン、J1の再開初戦で川崎フロンターレを相手に両足をつりながら決めた魂のゴールは今も語り草だ。復興のシンボルとなった仙台でも中心的存在だった太田は、2012シーズンから3年連続でリーグ戦全試合フル出場を果たし、文字通りピッチに立ち続けて東北に希望を与えた。

 そして“キャリアの最後は地元でプレーしたい”という思いを胸に、2015年には当時J2で戦っていた磐田へ復帰。19年に36歳で引退するまでにJ1通算310試合36得点、J2通算39試合4得点を記録した。

 自慢のスピードを生かしてサイドからチャンスを作り、チームのために走り続けるプレースタイルは年齢を重ねても変わらなかった。ユース時代にフィジカルに磨きをかけたことで、テクニシャン揃いの名門・磐田でも異色な存在として価値を発揮し、ポジションを掴んだ。太田にプロ選手としての揺るぎない自信を与えたのは、磐田時代にレジェンドから授かった助言だった。

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