大怪我からの復活 長谷川アーリアジャスールが新天地・町田で掲げる“恩返し”
【インタビューVol.1】右脛骨折を乗り越え、恩師ポポヴィッチ監督が率いる町田で再起
プロ15年目を迎えたMF長谷川アーリアジャスールは今季、自身8チーム目となるFC町田ゼルビアで新たな挑戦に臨んでいる。百戦錬磨の万能型MFがチームのため、支えてくれる人々のためにピッチ内外で思い描くビジョンとは――。
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2007年に横浜F・マリノスでプロキャリアをスタートさせ、FC東京、セレッソ大阪、スペイン2部レアル・サラゴサ、湘南ベルマーレ、大宮アルディージャ、名古屋グランパスでプレーしてきた長谷川にとって、20年は試練の年だった。シーズン開幕前の1月、ゲーム形式の練習で球際に飛び込んだ際、競った選手の膝が右脛を直撃。全治6カ月の重傷を負い、プロ14年目で初めて公式戦出場なしに終わることになる。「やってしまった……」。そう思いつつも、冷静に現実を受け止め、切り替えていた自分がいたという。
「2018年に名古屋に移籍して、行くチームがJ2に落ちてしまうジンクス(C大阪、湘南、大宮で経験)も崩れて、どこか吹っ切れた部分がありました。2年目(19年)にリーグ戦で30試合に出させてもらって結果も残せたなかで、さあ勝負の3年目というところでの怪我。足首は動くからアキレス腱は大丈夫だと思っていたら、脛の下からの感覚がなくなっていって、(復活まで)これは簡単ではないだろうなと。でも、マリノスの1年目に右足の第5中足骨を折って、計7カ月くらいリハビリをしていたので、初めてという感じではなかったです。前十字靭帯とかの怪我ではないから、骨だからくっつけば大丈夫、もう切り替えてやるしかない、と考えていました」
昨年末に町田移籍を決断するにあたっては、FC東京、サラゴサで指導を受けたランコ・ポポヴィッチ監督が早い段階から獲得に関心を示してくれていたことが背中を押した。
「怪我して、試合にも出ていないなかで、年齢(32歳)も考えたら、J1クラブから正式なオファーをもらうのは難しいかもしれない。今回は最初に欲しいと言ってくれたチームに行って、期待に応えたいと強く思っていました。それがFC町田ゼルビアで、自分のことを知ってくれている監督もいる。新しいクラブハウスができる予定で、(町田GION)スタジアムも増築したり、『町田を世界へ』のスローガンを掲げている未来あるチーム。そこに自分も携わっていけたらやりがいがあるなと感じたので、すぐに行きますと伝えました。行かずに失敗して後悔するよりは、行って失敗したほうが間違いなくプラスになる。『迷ったらゴー』というのは、自分の判断基準としてずっと持っています」