ドイツ生まれ、イングランド育ち…2国間で揺れた逸材 “才能”見抜いた独クラブとの絆
幼少期を過ごしたドイツ地元クラブと渡英後も続いた交流
そんなムシアラは、どこでどのようにサッカー選手としての道を歩み始めたのだろう?
ドイツのフルダという20万人都市で幼少期を過ごしていた。最初にプレーしたサッカークラブはTSVレーネルツという地元のクラブ。最初の監督ブランコ・ミレンコブスキは地元メディア「SPORTBUZZER」の取材に、「当時のことはよく覚えている」と振り返っていた。
母とともに練習場にやってきた4歳のムシアラは、「小さいけど速くて機敏で、何よりすごく楽しそうにサッカーをしていた。いつも2つ上の学年でプレーをしていた」そうだ。
「2月だったかな。試しに一緒にプレーしてみたいと言ってきたんだ。お母さんは『この子はサッカーが大好きで、クラブでプレーしたいと言っているんです』と言っていたんだけど、すぐに彼の才能に気づいた。彼は当時4歳で一緒にプレーをした子は5、6歳だったんけど、違いは全くなかったんだ。僕だけじゃなくて他の育成コーチもみんな、驚いていたよ。試合があると対戦相手の指導者も『彼は特別な選手だね』と話をしてきたね」
仲間と一緒にサッカーを楽しむ幼少期のムシアラを懐かしんでいたミレンコブスキが急に笑い出し、思い出話を一つ披露してくれた。
「ハマルは毎試合のようにゴールを決めていたけど、そんな時、一緒に思い出すのは父親の姿なんだ。試合中は離れたところで大騒ぎしながら、あっちこっちに走っていた。だから試合後、いつも汗でびっちょりなんだ(笑)。ハマルのことを思い出す時、いつもすぐそんな父親の微笑ましい姿が頭に浮かんでくるよ」
ムシアラ家族がイングランドへ引っ越してからも交流は続いていたという。時折父親や母親と電話をかけあっては、お互いの近況を報告しあっていたそうだ。
「イングランドに引っ越した後、一度4カ月間ドイツに戻って僕らのクラブでプレーしていたこともあるんだよ。それからも父親や母親とはコンタクトがあって、ハマルの成長を聞いたり、僕は彼のチームメートの話を伝えたり。15歳の時にクラブを訪問してくれたんだ。あの頃から将来、ドイツとイングランドとどっちでプレーしたいかを真剣に考えていたなぁ」
1人のサッカー少年がドイツからイングランドへ渡り、チェルシーで育成期を過ごし、バイエルンへ移籍で移り、いま代表選手として次の扉を開いた。その途上でムシアラはミレンコブスキをはじめ、いろんな人と出会い、様々な縁があったことだろう。そして謙虚な思いと感謝を忘れず、周囲の喧騒に踊らされず自分と向き合ってきたからこそ今がある。極上のポテンシャルを持つ18歳の青年が、これからどのような成長を遂げていくのか。物語はここからだ。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。