韓国に国立で悪夢の逆転負け 歴史が証明する日韓戦“敗戦”と指揮官の進退問題
冷静だった韓国ベンチ、日本は“逃げ切り”を意識して劣勢に…
韓国のチャ・ボムグン監督に、まだ焦りはなかった。失点直後には、最後尾でプレーしていたホン・ミョンボが「MFに上がる」と直訴するが、「落ち着け! 今まで通りにプレーしてチャンスを活かせば追いつける」と止めている。
むしろ先に動いたのは、日本陣営だった。先制して6分後に、FWの呂比須を下げてDFの秋田豊を送り込む。逃げ切りを意図して、コ・ジョンウンのマークを託した。
ところが秋田がピッチに飛び出すとともに、韓国ベンチも勝負の一手を打つ。
「守備力を考えてコ・ジョンウンをスタメン起用したが、後半日本の疲れが出て来るタイミングでスピードのあるソ・ジョンウォンを使おうと考えていた」(チャ・ボムグン)
4バックから5バック気味で韓国の攻撃に対応することになり、日本陣営は戸惑った。「逃げ切り」を過度に意識し過ぎたこともあり、後ろに人が余り中盤にはスペースが広がる。押し上げてくる韓国がセカンドボールを拾い、2次攻撃を仕掛ける流れができ上がった。
先制直後には、日本がラインコントロールに失敗。ロングフィードに合わせて2列目から飛び出したユ・サンチョルが、まったくのフリーでゴールを狙った。
これはまさかのミスキックで救われたが、後半39分の波状攻撃は阻止できなかった。韓国は左サイドからハ・ソッチュが深めのクロス。中央の空中戦では両チームともに誰にも触れずに逆サイドへ流れるが、足の止まらない韓国は右サイドからイ・ギヒョンが精力的にフォロー。再度逆サイドまで振ると、2人に競り勝ったチェ・ヨンスが頭で折り返し、最後は交代出場したばかりのソ・ジョンウォンが合わせて追いつく。ソ・ジョンウォンの周りには井原正巳、秋田豊、それにボランチの本田泰人と3人の守備者がいたのに、フリーになった小柄で俊敏なストライカーが頭で合わせることに成功した。
そして終了3分前、大混乱の中で日本に悪夢が訪れる。日本陣内で分厚い攻撃を続ける韓国は、途中まで呂比須をマークしていたCBのイ・ミンソンがバイタルエリアにフリーで走り込み左足を一閃。ゴールネットが揺れる。日本はホームゲームで、当面のライバルに逆転負けを喫してしまうのだった。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。