「日本サッカーの環境に感謝」 C大阪一筋13年、韓国代表GKが語るJリーグへの愛着
日本で生活するようになって「自分の性格がものすごく柔らかくなった」
「車の運転が、日本の方はすごく丁寧なのに驚いたんです。もちろん韓国でも安全運転が基本ですが、ハンドルを握ると性格がきつくなったりする人もいますよね?(笑)。なのに、日本の道路を走る車はみんながすごく落ち着いている。それはすごく勉強になりました。なので、韓国に帰った時の運転もすごく丁寧になったんですよ(笑)」
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それがサッカーのプレーにも、かなりの影響を与えたというのだから面白い。
「日本で生活して、自分の性格がものすごく柔らかくなったと感じるんです。元々は勝負に対する欲が強く、とても負けず嫌いで、それを表に出すタイプ。正直そこに関してはまだ治ったとは言い切れませんが(笑)。でも、日本に来てから、冷静なプレーがたくさんできるようになり、韓国にいた時よりも心が穏やかになりました。それはサッカーをするうえでも、感情のコントロールやメンタルを整えることに繋がっています」
本来は激情タイプのプレーヤーだそうだが、日本で長く生活を続けることで、性格は穏やかになり、プレーの幅が広がったという。
そして、日本に来て最も努力したことについて聞くと、「日本語の勉強です(笑)」と大笑いしていた。
「日本に来てからは、選手と疎通を図ることをものすごく重要視していました。早く日本語を習得したことで、チームに溶け込むのも早かったんです。日本に来てからは日本語の習得を第一の課題にしていたくらいです。練習が終わって宿舎に帰ったら日本語の勉強の日々でしたよ。ある時からは先生とマンツーマンで特訓です。これが本当にきつかった。でも来日後、半年が経つ頃にはチームメートとたくさん話ができるようになったんです。正直、学生の頃もそこまで勉強したことがなかったんですが、そういう意味では一番勉強した時期です。ただ、習得した日本語が“関西弁”だったというオチはありますが(笑)」
懐かしそうに当時を振り返るが、日本に来てからの生活の楽しさが伝わってきた。日本に渡り、C大阪というクラブに出会ったことが、キム・ジンヒョンの人生の岐路において、最大の選択だったと言えるのかもしれない。
金 明昱
1977年生まれ。大阪府出身の在日コリアン3世。新聞社記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めた後、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。2011年からは女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子ゴルファーと親交を深める。現在はサッカー、ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。近著に『イ・ボミ 愛される力~日本人にいちばん愛される女性ゴルファーの行動哲学(メソッド)~』(光文社)。