「自分はなにやってんだ」 日本一の広島ユースで“10番”、病に冒された20歳の今

2018年のU-18Jリーグ選抜に選ばれ、その一員としてプレー【写真:Getty Images】
2018年のU-18Jリーグ選抜に選ばれ、その一員としてプレー【写真:Getty Images】

心身の成長を期して進んだはずの大学で、順風だった人生が暗転

 ユースでも1年次から試合に出て活躍。3年次の18年末には、高校年代の日本一を決める「高円宮杯U-18プレミアリーグチャンピオンシップ」の舞台に10番をつけて立ち、鹿島アントラーズユースを2-1で下し、悲願の頂点に立った。

 そんな順風だった人生が、一気に暗転した。

 プロ入りを夢見て、高校卒業後は順天堂大へ。さらなる成長を思い描いていた一方で、桂は広島ユースに所属していた高校2年の時に尿管結石になって以来、腎臓に不安を抱えていた。

 何事もなくサッカーに打ち込んでいた1年次のある日、再び尿管結石を発症。しかも、それが何回も続いた。

「病院で調べてもらったら急性腎不全になっている恐れがあると言われて。酷くなると尿が出なかったり、食欲がなかったり、頭が痛くなったりもしますし、きつかったです」

 症状は悪化し、トレーニングを断念。1年次の冬頃からは実戦からも遠ざかり、悔しさと焦りを増幅させた。何より辛かったのは、同年代の活躍を目の当たりにすることだった。

「一緒に戦ってきた選手たちが活躍しているし、大学の同期も1年目から試合に出ていて、温度差が生まれてすごく辛かったです。ここまであまり挫折を経験してこなかったので、神様が与えた試練なんだなと思うしかなかったですね」

 大きく落胆した桂は、一刻も早く病気を完治させたかった。だが、そこへ追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスが猛威を振るった。

 大学2年目の春、緊急事態宣言の発令により4月に幕を開けるはずの関東リーグ戦(前期)が夏まで延期。その間に病気の治療に専念するつもりだったが、病院にはコロナ患者が運び込まれ、それどころではなくなった。

 桂は病に冒された事実とひたすら向き合うしかなかった。寮の仲間と顔を合わせることが日常だったユース時代とは違い、大学では1人暮らし。自然とネガティブな思いに駆られ、サッカーにまつわる情報をシャットダウンした時期もあったという。

 離れて暮らす両親には病気のことを大まかに伝えてはいたものの、詳しくは言わなかった。心配性な母親にも、近況を軽く報告した程度だ。「今、通院してるよ」。電話越しでそう伝えると、我が子の苦しみを察知してか、誰よりも体のことを気遣ってくれた。

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