「自分はなにやってんだ」 日本一の広島ユースで“10番”、病に冒された20歳の今
久保建英らと年代別代表で共闘、元広島ユースFW桂陸人の“その後”
2年3カ月前の2018年末、サンフレッチェ広島ユースは高校年代の日本一に立った。当時、チームのエースナンバー「10」を背負っていたFW桂陸人は、高校卒業後にプロ入りを目指して順天堂大学へ進学。さらなる成長を思い描いていた矢先、病に冒された。「自分はなにやってんだ」。同年代の仲間が活躍する姿を横目に、サッカーへ打ち込めない日々を過ごしてきた20歳の声を訊いた。(取材・文=Football ZONE web編集部・橋本 啓)
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新型コロナ禍による都内の緊急事態宣言が解かれ、感染者数が再び増加に転じていた昨年7月某日、桂は当時の心境を自身のツイッターに綴った。
「僕は今ユース時代から前兆のあった病で、大学に入ってサッカーが思うようにできていません。ユースの同期や同世代の選手が活躍している姿をみて、『自分はなにやってんだ』っていう気持ちに何度もなりました。けどこんな状況でも夢や野望は今でも変わりません。絶対這い上がってやるぞ」
2000年生まれの桂は広島県出身。小学4年次に母親の知り合いから誘いを受け、県内の強豪・広島高陽FCで本格的にサッカーを始めた。
当時から前線のポジションを務め、6年次の全日本少年サッカー大会では県大会優勝を経験。元広島の佐藤寿人やリオネル・メッシ(バルセロナ)に憧れを抱きながら、サッカーに明け暮れる日々を過ごしたそうだ。
「最後だし受けようか」。中学へ上がる際、軽い気持ちで広島ジュニアユースのセレクションを受験。すると、300名近くいた1次選考を通過し、気づけば30人ほどに絞られた3次選考にまで残っていた。
「セレクションの日は結構調子が良くて、手応えもあったんですよね。何日か経って自宅の郵便ポストを見たら合格通知が届いていて、お母さんと2人でめちゃくちゃ喜んだのを覚えています」
足が速くなり、体も強くなった成長期に受けた“記念受験”が見事に合格。そこからは「自分の中でも驚くほど上手くいった」。桂は頬を緩ませながら言う。
「(中学)1年生の時に10番をもらって、2年生からは3年生の全国大会にも出させてもらいました。そこで名が売れて、エリートプログラムとかトレセン、当時のU-15、U-16日本代表にも呼ばれるようになったんです」
年代別代表では、久保建英(ヘタフェ)や菅原由勢(AZ)、鈴木冬一(FCローザンヌ)、瀬古歩夢(セレッソ大阪)、谷晃生(湘南ベルマーレ)、東俊希(広島)ら、東京五輪世代の有望株たちとともに切磋琢磨した。
そうした経験が成長への追い風となり、中学3年の春に早々とユースへの昇格が決定。大半の選手たちが卒業後にユースの寮へ入る準備を進めるなか、桂だけは秋に地元を離れ、ユース選手が通う高校がある安芸高田市の中学へ転入した。