「なんで俺がCBなんだ」 今野泰幸、21年のプロ生活で成長の糧となった2つの“転機”
【今野泰幸インタビュー|第4回】今野が経験したCBコンバートの瞬間と磐田移籍の“転機”
J2ジュビロ磐田の元日本代表MF今野泰幸は、今季プロ21年目を迎えた。磐田に移籍後は2度の大怪我で苦しんだものの、これまでプレーしたFC東京とガンバ大阪ではユーティリティーな才能を発揮して数々のタイトル獲得に貢献。日本代表としてもワールドカップに2度出場するなど、多くの国際大会を経験してきた。そんな輝かしいキャリアを誇る今野が、長いキャリアのなかで訪れた“転機”を振り返り、2つの出来事について語っている。(取材・文=Football ZONE web編集部・小杉 舞)
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「転機はめちゃくちゃあります。例えば2009年、城福さんが監督をやった時にセンターバック(CB)にコンバートされたこと」
2001年、コンサドーレ札幌(当時)でプロとしての第一歩を踏み出した今野は、04年にFC東京へ移籍。アテネ五輪代表、日本代表にも選出され、順調にキャリアを歩んでいった。だが、城福浩監督(現・サンフレッチェ広島監督)が指揮を執っていた09年に転機が訪れた。主にボランチでプレーしていた今野だが、突然CBへの“転向”を告げられた。その通告は今野にとって悔しいものだった。
「監督からは当時、若くて調子の良かった『米本(拓司/現・名古屋グランパス)がいるから、CBをやってほしい』と言われた。俺としては、『米本がレギュラーだからお前はCBだ』と言われたような気がして、『なんで俺がCBなんだ』と思った。だけど何試合かやるとハマって、城福さんにも『ボランチみたいな感覚でCBをやればいいよ』と言われた。そういう感じでやっていいんだと思うと、楽しくなってきた。チームでCBを1年間やっていたら、代表でもCBで出られるようになった」
当時26歳だった今野は、高卒1年目の米本の存在もあり、CBへのコンバートを告げられたという。だが、その悔しさを糧に新たなポジションへの挑戦を決意。乗り越えたことで、日本代表やJリーグにおいて存在感を放つ今野のプレーの幅を広げることとなった。
また、磐田への移籍も今野にとって転機だった。19年夏、7年半在籍したG大阪を離れ、新天地へ渡ることを決意。当時は「ずっとガンバにいられると思っていた」という。
「だけど、プロとしての厳しさを知った。ガンバからは『今ちゃんの思いを尊重する』と言ってもらったけど、俺自身は『プロ選手としていらないのかな』と捉えてしまった。俺、ここで必要とされていないんだ、というのを感じてしまって。プレーし続けるのは難しいし、1年1年が勝負だし、プロの世界が厳しいことは分かっていたけど、その時あらためて感じた。でも、そのタイミングでジュビロが手を挙げてくれた」