釜石初のJリーガーが中2で経験した3.11 被災地で夢を支えたサッカーの絆【#あれから私は】
震災後の変化「サッカーができる状況でもなかった」
菊池は当時、地元・釜石市にあるFC釜石U-15でサッカーをしていた。震災前は専用のグラウンドで週5日、サッカーに明け暮れる日々を送っていた。当時の夢は、プロサッカー選手になること。そのために必死にボールを追いかけていた。
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しかし、震災によって状況は一変した。週5でボールを蹴っていた練習グラウンドには仮設住宅が建設され、練習場所を失った。
「サッカーができる状況でもなかったです。『これからどうなっていくんだろう?』っていう感じだったし、周りの目もあって、なかなか個人的にボールを蹴ったりすることもできなかった」
それでも大人たちが子どもたちのために尽力したのだろう。「いつ再開したかは覚えていない」と菊池は語ったが、練習グラウンドを貸してもらえることになり、週1回ながら練習が再開されることになった。
サッカーがしたい。思いっきりボールを蹴りたい。そんなサッカー少年たちの思いを叶えるべく、Jリーグは早い段階でサッカー教室を開くなど、サッカーを通して支援活動を行った。
「4月ぐらいから始まったと思う。横浜FC、ラモス瑠偉さん、福西崇史さんとか、いろいろなクラブや選手OBの方が釜石市に来てくれました」
菊池も、サッカー教室に参加した1人だ。
「久々にサッカーがやれて嬉しかったという気持ちを覚えています。それにプロサッカー選手と関わる機会もあまりなかったので、実際に目の前で一緒にサッカーをして『凄いなあ』っていう尊敬が一番大きかったですね」
彼らの姿は、菊池少年の目には“ヒーロー”に映ったという。そして、「自分もプロになって、子どもたちのヒーローになりたいと思った」と明かした。
震災後の夢も変わらず、プロサッカー選手になること。菊池は迷うことなく青森山田高校への進学を決めた。