「浦和の看板」背負いたくない 見知らぬ土地で再出発、元J戦士が描く第2の人生とは
【元プロサッカー選手の転身録】松田悦典(元浦和、鳥栖)後編:引退後の希望は「社長になりたい」、元Jリーガーがたどり着いた天職
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世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
今回の「転身録」はかつて浦和レッズやサガン鳥栖などに所属した松田悦典(46歳)。大宮東高ではユース代表に選ばれ、1993年にJリーグ入り。浦和は2シーズンで退団となったが、鳥栖では主力としてプレーする機会を得るなど2002年まで現役生活を送った。引退後、柔道整復師となった松田の現在地とは――。後編は整骨院開業の経緯と真摯に地域貢献する様子をお届けする。(取材・文=河野正)
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浦和レッズやサガン鳥栖などで10年間プレーした松田悦典は、2002年に28歳で現役を退くと、柔道整復師へと転身した。
引退する2年ほど前から、セカンドキャリアについて考え始めた。Jリーグでは02年にキャリアサポートセンターを設立し、引退後の進路支援を行ってきた。Jリーグの担当者に引退後の身の振り方について聞かれると、松田は「社長になりたい」と答えたそうだ。
インテリアデザイナーに興味を抱いたが、今までの仕事とはかけ離れている。「畑違いだし、やってきたことを生かせるほうがいい」と思案。現役時代、怪我を繰り返してはトレーナーのお世話になったことで、今度はお世話をする側に回り、競技者の手助けをしようと決心した。
02年に引退すると、翌年から横浜市の呉竹鍼灸柔整専門学校に3年間通って国家資格を取得。柔道整復師、はり師、きゅう師、あんまマッサージ師といった選択肢の中から、スポーツによる骨折や打撲を治療し、接骨院やトレーナー、地域や学校のスポーツ振興支援など多くの分野で活躍できる柔道整復師を選んだ。
専門学校に通う傍ら、東京都内のスポーツ接骨院でサポート役として従事し、整復師の免許を取得した後も3年間ここで修業した。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。