「ドイツに連れて帰る」の言葉が自信に 挫折をくぐり抜けた元Jリーガーの記憶
【元プロサッカー選手の転身録】松田悦典(元浦和、鳥栖)前編:高卒2年で挫折、古巣で叶わなかった舞台に「身震い」
[ftp_del] 【後編】「浦和の看板」背負いたくない 見知らぬ土地で再出発、元J戦士が描く第2の人生とは[/ftp_del]
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世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
今回の「転身録」はかつて浦和レッズやサガン鳥栖などに所属した松田悦典(46歳)。大宮東高ではユース代表に選ばれ、1993年にJリーグ入り。浦和は2シーズンで退団となったが、鳥栖では主力としてプレーする機会を得るなど2002年まで現役生活を送った。引退後、柔道整復師となった松田の現在地とは――。前編は松田の現役時代の記憶を辿る。(取材・文=河野正)
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Jリーグ一期生の松田悦典は1993年、埼玉の強豪・大宮東高校から浦和レッズに加入。2年間在籍した後、鳥栖フューチャーズとサガン鳥栖でジャパンフットボールリーグ(旧JFL)を4シーズン戦い、J2昇格後も4年間を過ごして2002年に引退した。
中学時代は読売クラブ(現・東京ヴェルディ)ジュニアユースで腕を磨き、ユースに昇格できる力がありながら、高校サッカーで有名になる大志を抱いて大宮東に入学。第69回全国高校選手権に1年生で唯一出場し、3回戦では名波浩や山田隆裕らを抱え史上最強と呼ばれた静岡・清水商をPK戦で破った。3年生になると、埼玉少年選抜の主将を務めて国体で4強入りしたほか、日本ユース代表にも選出されるDFだった。
「読売時代は隣のピッチでラモス瑠偉さんや都並敏史さん、武田修宏さんたちが練習している環境ですから、(当時の日本リーグを目指す)意識は高かった。高校3年で浦和入りが内定しましたが、プロになれたのは読売で上手な選手と競い合った3年間があったからです」
一つ上に山口貴之、二つ下には財前宣之という両天才MFがいた。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。