震災後初戦で決めた魂のゴール 太田吉彰が今も抱く「東北のために」【#あれから私は】
忘れられない経験「泣きながら『ありがとう』と…」
震災の経験は、選手としてだけでなく、人としても大きな成長につながった。街中で声をかけてくれたサポーターのことは、今でも鮮明に覚えている。
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「あのゴール(川崎戦)を決めた後、仙台の街中でも声をかけていただくことが本当に多くなりました。中には泣きながら『ありがとう』って言ってくれる人もいました。それが本当に印象に残っています。目の前で泣かれるという経験はそれまでなかったので、本当に嬉しくて、もっともっと東北のために頑張っていこうという思いが強くなりました。
以前は誰かのためにサッカーをするという思いは、ほとんど持っていませんでした。でも、震災の後に日本中が自分たちのことを応援してくれた時に、そこで初めて感謝の思いを持ってプレーすることを覚えました」
当時の仙台は手倉森誠監督が掲げた「希望の光になろう」という信念の下で大躍進を遂げた。2010年に14位だったチームは、震災のあった11年シーズンに4位、翌12年には2位とクラブ最高順位を2年連続で塗り替えた。太田は自分だけでなく、チーム全体として明らかな変化が起きたことを感じ取っていた。
「2010年当時のチームはまだJ1を経験している選手もそんなに多くなかったですし、僕も含めて自分たちがどういうサッカーをすべきなのか定まっていなかった部分がありました、11年の一番大きな変化は、チームが一丸となって選手が皆、同じ方向を向いていたことですね。そこで4位になり、その翌年も全く同じ思いでさらに進化していこうという気持ちでした。
手倉森監督は『希望の光になろう』『東北のために』ということはよく仰っていましたけど、選手もそれをあえて口にすることはなくても、みんなが同じ気持ちを続けて戦うことができていたと思います。再開初戦の川崎戦も前半は0-1で負けていましたが、ハーフタイムに誰も下を向くことなく、『よし、行くぞ』という雰囲気がありました」