震災後初戦で決めた魂のゴール 太田吉彰が今も抱く「東北のために」【#あれから私は】

2010年から14年までベガルタ仙台に所属していた太田吉彰【写真:Getty Images】
2010年から14年までベガルタ仙台に所属していた太田吉彰【写真:Getty Images】

「いつになったらもう一度サッカーができるんだろう」

「10年というのは非常に早く感じます。あの時のことは今でもはっきりと覚えていますから」

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 2010年から14年までベガルタ仙台に所属していた太田吉彰は、2011年3月11日の出来事をまるで昨日のことのように思い出していた。

「地震が起きたのは午前の練習が終わって家に帰っている途中でのことでした。揺れは本当に大きくて、目の前のガソリンスタンドの看板が落ちてきたほどです。水道、電気、ガスが一気に止まってしまって、携帯電話も電波があまり入ってこなくて使えなかったので、情報がなかなか得られなかった。津波の映像がニュースで流れていることも知らなくて。カーナビについているテレビで少しだけ見たのですが、映像が悪くて何が起きているかまでは分からなかったんです」

 地震が発生した午後2時46分、帰宅途中の太田は幸いにも自宅周辺にいた。すぐ家に戻ることはできたが、家具は倒れ、床に物が散乱していた。余震も続いていたため、その日は車内で不安な夜を過ごした。

 翌日に控えていた試合は中止となった。混乱の中でクラブハウスに足を運び、数名のチームメートやクラブスタッフとお互いの状況について話したが、誰もが頭の中に「いつになったらもう一度サッカーができるんだろう」という思いが浮かんでいた。太田も「サッカーができるような状況じゃなかった」と当時を振り返る。

「地震が起きてからしばらくは仙台にいました。チームメートが仙台で一軒家を借りて住んでいたので、そこに僕も含めて数名の選手が集まって寝泊まりするような状況だったんです。本当に大変でしたね。その後は、チームが一度解散になったこともあって、僕は地元の静岡に帰りました。

(震災前に)シーズンは開幕していましたけど、第2節を迎えるタイミングでJリーグ自体が止まってしまった。もう一度サッカーができる環境に戻れるかどうか不安でしたけど、それ以前に仙台はサッカーどころではなかった。被災地の方々は生きていくのに必死という状態だったので、僕らも自分たちのことはなかなか考えられなかったです」

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