“武闘派DF”へ進化を遂げた屈辱の1年 浦和で躍動する槙野がドイツで得た「大きな財産」とは
浦和で誓う「成功」と「成長」とは
15年、ファーストステージの無敗優勝を達成し、槙野はA代表のセンターバックとしてもレギュラーに名を連ねることが多くなった。浦和に戻ってきた時の目標を達成し、素晴らしいキャリアを重ねている。その流れの中で「DF」としての意識も変化した。
「前は、1点取られても2点取ればいいという考えだったんです。でも、今はゴールする喜びよりも相手のキープレーヤーを抑える喜びの方が大きい。チームが勝てたのは、あいつがキープレーヤーをつぶしたからだよねって言われることに快感を覚えるようになりました」
経験を重ね、責任感が増していく中で、守備の選手としての意識が高まった。それが日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督の評価にもつながっているのだろう。ケルンでの1年は槙野にとって、どういう意味を持っていたのだろうか。
「ケルンへの移籍は失敗とは思っていない。その後の自分につながった大きな財産だと思っています」
1年間で8試合出場という試合数や、置かれてきた状況を考えれば強がりにも聞こえる。だが、実力不足を自覚し、苦しくても腐らずに、愚直にサッカーに取り組む姿勢を貫いた。そこに槙野という選手の価値があり、サッカーへの深い愛情を垣間見ることができる。それがなければ、今に至る槙野の「成功」も「成長」もきっとなかったはずだ。不遇をかこったあの日々は、今も彼の中に生き続けていた。
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浦和に移籍してからの4シーズン、幾度となく頂点に近づきながらも、ことごとく目の前でその栄冠を逃し続けてきた。今季に懸ける思いは誰にも負けていないだろう。
ケルンで得た財産を、さらに多くの人たちと分かち合える大きな歓喜に変えることができるだろうか。槙野の活躍に、これからも目が離せない。
[PROFILE]
槙野智章(まきの・ともあき)
1987年5月11日生まれ、広島県出身。2000年サンフレッチェ広島ジュニアユース加入。03年にユース昇格、現在浦和レッズでチームメートの柏木陽介と同期。06年にトップチームへ昇格。07年にU-20ワールドカップ・カナダ大会にセンターバックとして出場し、ベスト16進出。11年に自身初となる海外挑戦、1.FCケルン(ドイツ)へ完全移籍。12年、広島時代の恩師ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の誘いにより、浦和へ期限付き移籍(13年完全移籍)。浦和での活躍がバヒド・ハリルホジッチ監督の目に留まり、日本代表にも定着。今シーズンは、浦和に9年ぶりのタイトルをもたらすことを誓う。
〈サッカーマガジンZONE 2015年10月号より一部加筆修正をして転載〉
【了】
佐藤俊●文 text by Shun Sato
安川啓太、ゲッティイメージズ●写真 photo by Keita Yasukawa, Gettyimages