“武闘派DF”へ進化を遂げた屈辱の1年 浦和で躍動する槙野がドイツで得た「大きな財産」とは

浦和への移籍を決心させた恩師の“本気”

「試合に出られない現状と、試合勘やコンディションを回復させ、日本代表に復帰することを考えると、ミシャの下でサッカーをするのが一番だと思ったんです。もちろん欧州にいて移籍マーケットに自分の名前を残すことも大事です。でも、ケルンでは試合に出られるかどうか分からない。いろいろなことを考えると浦和がベストだなと判断したんです」

 最終的に槙野の心を突き動かしたのはペトロヴィッチが浦和の強化部に、「私のわがままを聞いてくれるならマキノを獲ってほしい」と一人だけ自分の名前を挙げて直訴してくれたことだった。恩師の“本気”に胸を打たれ、浦和に行く決心をしたのである。

 赤いユニホームに袖を通すと、ズシリと重みを感じた。11年の浦和は残留争いに陥り、12年は復活の年と位置付けていた。そのタイミングで加入してきた槙野への期待は非常に大きかった。それに応えられなければ容赦なく叩かれることになる。

 そして12年シーズン、浦和はリーグ戦3位という成績を残し、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を獲得。個人的にも33試合出場6得点と結果を残した。槙野はプレッシャーをはねのけ、期待に応えたのである。

「ドイツに行く前は若さゆえに勢いとノリでやってきた。だが、欧州に挑戦し、ケルンで結果を出せずに帰ってきた。浦和では懐疑的な視線と大きな期待の中で自分のプレーをして結果を出せた。それは、すごく自信になりました。この先もやっていけると思った。ケルンからの12年は、僕にとって大きなターニングポイントになったんです」

 

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