“武闘派DF”へ進化を遂げた屈辱の1年 浦和で躍動する槙野がドイツで得た「大きな財産」とは

移籍か残留か 与えられた3つの選択肢

 11年12月、シーズン前半戦が終わって出場は、わずか3試合。スタメンは1試合もなかった。試合に出たら活躍できる自信はあるのにチャンスが与えられない。チームは残留争いの渦中にあったが監督の続投が決まり、後半戦も出番は望めない。期限付き移籍を視野に入れ、クラブと話し合ったが結論は出なかった。

 複雑な思いのまま、クリスマス休暇を過ごすべく帰国した。その時、広島時代の恩師であり、浦和レッズの監督就任が決まっていたミハイロ・ペトロヴィッチから電話が掛かってきた。話だけならと思い、会うことにした。

「マキノ、今の君の現状を考えると帰国してプレーした方がいい」

 恩師はストレートに切り出した。

「監督、誘っていただいたことはうれしいんですけど、今はまだ欧州でチャレンジしたいんです」

 槙野は、その時点での気持ちを正直に話した。それでも恩師は、浦和での自らのチーム構想やタイトル獲得への熱い思いを話してくれた。その熱意に負け、槙野は移籍についてもう一度考えてみようと思ったという。

 この時、彼には3つの選択肢があった。1つは、契約が残るケルンに残留してプレーすること。

 2つ目は、ドイツ2部のクラブに移籍すること。

 そして、3つ目が、浦和だ。

 槙野は、ドイツ2部のクラブへの移籍については慎重だった。ケルンでの経験がそうさせていたのだ。

「ケルンでは、自分のプレーを認めてくれた監督が早々にいなくなってしまった。その後、自分のプレーとクラブの求めるものが違ってしまい、それが最初のシーズンにうまくいかなかった理由の一つだったと思うんです。2部のクラブに行けば、試合には出られる。でも、そこも残留争いをしていたし、それじゃあ、いつ監督が代わるかも分からない。それに自分のスタイルや、やりたいサッカーにも当てはまらない。それならケルンにいても一緒だと思った」

 1月、ドイツに帰る飛行機の中、槙野は12時間、ほとんど一睡もせずにケルンに残るべきか、浦和に移籍するべきかを考えた。そしてケルンに到着し、1日経った夕方、槙野はついに決断を下したのである。

 

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