“武闘派DF”へ進化を遂げた屈辱の1年 浦和で躍動する槙野がドイツで得た「大きな財産」とは

 2016シーズンの浦和レッズは、J1リーグ第8節終了時点で首位に立ち、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)でもグループステージ突破を決めるなど、ここまで素晴らしい成果を残している。そんな好調のチームにおいて、槙野智章は強烈な存在感を発揮し、充実した時間を過ごしているように見える。

 そんな槙野は5年前、大きな挫折を味わった。決意を持ってドイツに出発したが、監督の交代、戦術の変更、自分への偏見、実力不足――。悔しい思いを抱えて、1年で帰国した。

 だがその経験が、今の浦和での活躍に結び付いている。

 プレーヤーとしての分岐点になったドイツでの1年間を、本人の言葉とともに振り返る――。

 

最悪の結果だったドイツでのデビュー戦

 2011年1月29日、サンフレッチェ広島からケルン(ドイツ)に移籍したばかりの槙野智章は、リーグ後半戦の開幕カードとなったザンクトパウリ戦にスタメン出場した。しかし、結果は0-3での惨敗。ほとんど何もできず、厳しいデビュー戦となった。この結果が、自らの今後を暗示する試合となったのである。

「新しい選手は、第一印象がすごく大事だと思うんです。でも、最初の試合で完全にやられて、印象が最悪だった。その後へ大きく影響したと思います。逆にライバルの選手がすごく良くて、チームの目指す方向性にも合っていた。しかも俺をとってくれた監督が辞めて、(フォルカー・)フィンケさんが監督になるなど、チームがバタバタしてしまった。最終的に最初のシーズンは5試合しか出場できなかったけど、初めての海外で勉強になったし、個人的にはプラスになったことの方が多かったです」

 新参者がいきなり活躍できるほど、ドイツは甘くない。それだけに2年目となる11-12シーズンは非常に重要になる。

 万全を期してシーズンインしたが、ドイツの荒波は想像を絶するものだった。ストーレ・ソルバッケンが新監督に就任したが、ノルウェー人の指揮官は槙野の存在を一人の選手として認めていなかったのだ。

 

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