松田直樹の「熱い闘志」は今も胸に 自動車業界で奮闘、元Jリーガーが秘める思い
偉大な先輩や仲間、恩師との出会いが第2の人生の糧に…「マツさんからはハートの部分を学んだ」
右も左も分からないところからスタートしたセカンドキャリアだったが、現在は言葉から頼もしさすら漂う。まったくの畑違いに見えなくもないが、Jリーガーとしての経験が生きたこと、生きる場面はあるのか。
【注目】白熱するJリーグ、一部の試合を無料ライブ配信! 簡単登録ですぐ視聴できる「DAZN Freemium」はここから
天野は間髪入れずに答えた。
「やっていることは一緒だと思います。僕はサッカー選手として試合に出られない時間が長かった。練習についていくのも必死で、毎日100%でやるのが当たり前でした。それが体に染みついています。今の仕事になってからも100%でやることに変わりはありません。車の相談をもらった時は100%のパワーで調べます。洗車するサービスもやっているので、その時は自分の車だと思って全力でピカピカにします。岡田武史監督が『勝負の神様は細部に宿る』と言っていました。だから見えないところでもキレイにしておく。お客さんが気づいた時に感動してもらえたら、僕もすごく嬉しいです」
自動車という媒介を通して、人と触れ合う。仕事を上手に回していくためには処世術も重要だが、その点において天野の右に出る者はいない。偉大な先輩たちに可愛がられた経験がここで大きな意味を持つ。
「僕はたくさんの先輩にお世話になりました。例えば、マツさん(故・松田直樹)はサッカーが大好きで、熱い闘志やハートの部分を勉強させてもらいました。ジローさん(清水範久)には見えないところでも努力するカッコ良さを、(河合)竜二さんは男としてどう在るべきかの姿勢を教えてくれました。シュンさん(中村俊輔)からサッカーに対しての探求心を学び、(中澤)佑二さんからはストイックに頑張ることの重要性を感じました。たくさんの先輩たちを見てきたことで、いろいろな局面に立った時にいろいろな人の考え方に置き換えて物事を考えられるようになりました。先輩だけでなく同期の選手や後輩も含めて、人との出会いが自分自身の貴重な引き出しになっています」
サッカーの世界から離れても、人と人のつながりが天野の原点にある。愛されキャラだからこそ巡り合えた現在の仕事は、セカンドキャリアで見つけた天職なのかもしれない。(文中敬称略)
藤井雅彦
ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。