松田直樹の「熱い闘志」は今も胸に 自動車業界で奮闘、元Jリーガーが秘める思い
順調に伸ばす販売台数「元Jリーガーという肩書きだけではダメなんです」
「選択肢の一つとして声をかけてくれたんです。『サッカーを続けられるなら続けてほしいですけど、頭の片隅に置いてください。私は待っているので、いつでも連絡ください』と言ってもらえて、素直に嬉しかった。もしプロサッカー選手を続けられなかった時は、そういう道もあると教えてくれました」
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プロサッカー選手を引退する。それは天野が車屋さんとして新たな人生をスタートさせるホイッスルとなった。
「自分は人と関わるのが好きで、人と話すことが好きで、そもそも人が好き(笑)。それは自分の良さでもあると思うので、何か自分の特徴を生かせる仕事はないかなと考えていました。社長は“つながり”を大切する方で、その考えにすごく共感したんです。自動車を通じて、人とつながりたい。保険や車検、買い替えといった場面で携われることがモチベーションですし、自分の良さを生かせると思いました。仕事を通じて人とつながっていられることが僕の幸せです」
まったく違う世界へのチャレンジに不安がなかったといえば嘘になるが、与えられた課題に全力で取り組むことは得意だった。たとえチームの列の最後方だとしても、ガムシャラな姿勢で先輩の背中を追いかける。ゼロからのスタートはとにかく新鮮で刺激的だったが、やはりプレッシャーもあったようだ。
「会社の役に立つにはとにかく知識が必要で、勉強することがたくさんありました。それに会社に属してお給料をいただいている以上は、会社に利益をもたらさないといけないのは当然です。ノルマなどはありませんが、人とのつながりあっての仕事だと思っています。名刺の裏に『1台からはじまる出会いを大切に』と書いてあります。それは自分自身の生き方とまったく同じ。天野貴史という人間を信頼して車を買ってもらえるようになるためには、元Jリーガーという肩書きだけではダメなんです」
自宅から会社のある五反田まで電車に揺られて1時間弱。始業が9時30分で定時は18時30分だが、繁忙期に残業をしていると帰宅が22時を過ぎることもしばしば。休日は日曜日と祝日のみだが「お客さんに休みは関係ないので電話がかかってきます」と笑う。業務中はスーツとネクタイ、それから革靴で身を包み、主にデスクワークに励んでいる。
引退から3年が経ち、同時に車屋さんとしてのキャリアもちょうど3年になった。その間に自動車保険の資格を取得し、自身が担当する顧客は80人を超えた。販売台数は1年目に17台、2年目が27台、そして3年目が約40台と順調な伸びを見せている。
「車を売って終わりではなく、買ってもらってからがスタートです。サッカーをやっていたおかげで知り合えた人から輪が広がっていくので、間接的にサッカーにも携わっている気分になります(笑)。自動車保険は保険会社との間に入る代理店の役割です。仮に事故が起きてしまった時、『0120~』から始まるフリーダイヤルの番号に電話をして、たまたま電話を取ったオペレーターさんとやり取りするじゃないですか。僕の場合は、僕に直接電話してもらえればいい。顔が見えている関係性なら安心感があると思うし、いろいろなことの手配は僕に任せてもらえれば大丈夫ですから」
藤井雅彦
ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。