被災Jリーガー、避難所を回り流した涙 震災10年、仙台MF関口が伝えたいこと【#あれから私は】

1カ月以上の中断期間を経てJリーグが再開「18年サッカーをやってきたなかで一番…」

 そして迎えた4月23日。待ちに待ったJリーグ再開戦が訪れた。アウェーの川崎フロンターレ戦。関口はスタジアムに着いて、一番にスタンドを見上げた。

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「仙台のサポーターがすごく来てくれていて、整列した時には泣いているサポーターもいた。いろんな思いを持ってスタジアムに集まってきてくれたと思うし、その試合で勝てて、みんなに勝利をプレゼントできたというのは、自分が18年サッカー選手をやってきたなかで一番嬉しい出来事の一つかなと思います」

 0-1でリードされた後半28分、MF太田吉彰のゴールで追いつくと、後半アディショナルタイムにDF鎌田次郎の一撃で勝ち越しに成功。逆転勝ちを収めた。3月11日に地震が発生して、活動休止を強いられたチームが、手倉森誠監督の「被災地のために戦え」という言葉で一致団結。11年シーズンは4位という好成績を収め、翌12年は優勝争いを演じた。惜しくも2位に終わったが、「被災地のために」という気持ちはチームを一つにした。

 当時を知り、現在も仙台でプレーするのは関口とMF富田晋伍の2人だけ。関口自身、震災後、浦和レッズやセレッソ大阪でプレーし、18年に仙台復帰を果たした。

「仙台に復帰して思うことは、僕自身、年齢を重ねて優勝争いをしたり、タイトルを取ることもできた。このクラブにもう一度戻ってきた時、タイトルを取る喜びを感じてもらいたいと思った」

 今季は、チームでキャンプ前に被災地である宮城県名取市の閖上地区を訪れた。10年前に指揮を執り、今季から復帰した手倉森監督は再び、「もう一度被災地のために戦おう」と話した。その言葉は、ベテランとなった関口にも重くのしかかった。

「11年、12年は全員がそういう気持ちを持って戦えたシーズンだった。だから上位にも食い込めたし、全員がそういう気持ちを持てるような雰囲気にしていきたい。全員が戦っている姿を見てもらいたい」

 もう一度、サッカーで勇気を――。東日本大震災のことを忘れないためにも――。

「自分の中では忘れられないし、みんなにも忘れて欲しくない。二度とこういうことが起こらないように子どもたちにも伝えていかないといけない。震災が起こる前、自分が知っていた風景が1キロ先、2キロ先まで何もなくなってしまった。こんな光景はもう見たくない。大事にしないといけないのは、まず逃げること。絶対に戻ってはいけない。10年経ってもまだまだ街も復興できていない。全国の皆さんにも分かってもらいたい」

 あれから10年。今もなお苦しむ人々のために、関口は今季も走り続ける。(文中敬称略)

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