“愛されキャラ”の小兵、13年のプロ生活は「奇跡」 俊輔の言葉には「涙が出そうに」

電話口で涙しながら伝えた現役引退「一番辛かった」

 2月になっても正式なオファーは届かない。眠れない日々が続き、ようやく眠れても朝4時に目が覚めてしまい、それから不安が胸を支配して眠れなくなる。仕方なくシューズを履いて早朝ランニングに出かけても、気持ちの良い汗が流れない。頑張る場所のない時間は、チームの最後方を走ることよりよっぽど精神的にきつかった。

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 こうして2月下旬に決意を固めた。チーム探しに奔走してくれたエージェントに連絡を入れた。そして大切な人への報告をしなければならなかった。

「一番辛かったのは、親に引退を報告する時でした。チームがなかなか見つからない途中経過で『引退するかもしれない』という話はしていましたが、いざ本当にそうなると伝えるには勇気が必要でした。小学校2年生で初めてチームに所属して、ずっと送り迎えをしてくれて毎日お弁当を作ってくれて、一番長く応援してくれたのが両親です。電話で父親に伝えた時は、涙が出てきました。悟られないようにしたけど、気付かれたかもしれません。母親に伝えた時は、母親が泣いていて、それも辛かったです。でも自分をずっと応援して支えてくれた両親や家族、そして奥さんには感謝の気持ちしかありません。13年間のプロサッカー生活は最高の時間でした」

 引退から約3年の年月が経っても忘れない両親への感謝と当時の緊張。『車屋さん』というセカンドキャリアを歩み始めてからも、あんなに手に汗握ったことはない。

 華やかに見えるプロサッカー人生だが、天野の場合は崖っぷちの連続だった。

「毎年、年末が近づくと契約満了になるんじゃないかと不安で。でも毎日サッカーができるのは最高に幸せでした。試合に出られない時期はめちゃくちゃキツかったけど、今になって考えるとあの時間がめちゃくちゃ楽しかった。凄いメンバーと素晴らしい仲間とサッカーができた。一生の宝物です」

 地道に、コツコツと。歩幅は小さくても、積み重ねてきた努力はまったく色褪せない。グラウンドを離れた今も天野貴史にとっての勲章だ。(文中敬称略)

藤井雅彦

ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。

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