“天才”中村俊輔との共演を元日本代表MF名波浩が回顧 「ダブル司令塔でやれたら…」
2000年のアジアカップで共鳴「何も言わなくてもお互いに分かっている感覚」
そんな2人がピッチ上で絶妙なコンビネーションを見せた大会といえば、2000年のアジアカップだろう。日本が2回目の優勝を果たしたなかで、名波氏はボランチとして攻撃をコントロールし、大会MVPに輝く活躍を見せた。
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「(日本代表で)僕がボランチで俊輔がトップ下とか、ダブル司令塔っぽい感じでやれたら良かったんですけど、その時間はすごく短くて。アジアカップで優勝した時は、俊輔が左のウイングバックで僕がボランチで、俊輔のストレスが溜まってきたなと感じたら『俊輔どう?』『あ、入りたいです』みたいなコミュニケーションを取って、入れ替わる関係でした。試合中に会話するだけで、あとはもう何も言わなくてもお互いのやりたいことは分かっているという感覚。その後、俊輔はヨーロッパで活躍して、代表でもチームを救うようなプレーを何度も見せてきた。そしていまだに現役。日本サッカーの歴史のなかで、燦燦と輝くスターの1人になったと思います」
レフティー同士として、ピッチ上でまさに共鳴するようにプレーしていた2人。「左利きっぽい左利きの選手はあまりいないと思うので、そう考えると俊輔や僕は、だいぶ化石のような存在になってます」と笑った名波氏は、「そういう似通ったプレースタイルの選手が、比較的年齢の近いところにいたのはすごく良かったし、10番を移行できたというのも嬉しいことですよね」と、日本代表のユニフォームを着て共闘した日々を振り返っていた。
[プロフィール]
名波浩/1972年11月28日生まれ、静岡県出身。順天堂大学を卒業後の95年にジュビロ磐田に加入し、左利きの司令塔として黄金期を迎えたチームの中心として活躍した。Jリーグ通算331試合34得点、Jリーグベストイレブンに4度選出。1999-2000シーズンにはセリエAのヴェネツィアでプレーした。日本代表としても国際Aマッチ67試合9得点の成績を残し、1998年フランスW杯には背番号10をつけて出場。2000年アジアカップではMVPを受賞し、日本の優勝に大きく貢献している。08年に現役引退。14年から19年まで磐田監督を務めた。
(FOOTBALL ZONE編集部・谷沢直也 / Naoya Tanizawa)