「あの11番は偉大」 元日本代表MF名波浩が追い続けたカズの姿「尊敬しかない」
日本代表で共闘「プライドや責任感を叩き込んでくれた」
元日本代表MF名波浩氏にとって輝かしいキャリアのハイライトの一つと言えるのが、1997年に行われたフランス・ワールドカップ(W杯)アジア予選だろう。アジア第3代表決定戦での「ジョホールバルの歓喜」をはじめ、日本中が悲願のW杯初出場に向けて熱狂したあの1年には数々のドラマがあった。そんな激動の日々を過ごしたなかで、名波氏が追い続けたのが1993年の「ドーハの悲劇」を経験したメンバーの背中であり、日本サッカー界の象徴的存在だった“カズ”こと元日本代表FW三浦知良(現・横浜FC)の姿だった。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)
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現役時代に「衝撃を受けた選手」を訊くと、名波氏は真っ先に元フランス代表MFジネディーヌ・ジダンと元ブラジル代表FWロナウジーニョを列挙したが、3人目として日本サッカー界が誇るスーパースターの名前を挙げた。
「やっぱり日本代表に入ってすぐ、代表選手としてのプライドや責任感を僕ら若い選手に叩き込んでくれたカズさんは、いろいろな意味で大きな存在でした。カズさんの決勝ゴールで勝ったという試合が多くて、一緒にピッチに立っていた1人としてその偉大さは十分に感じていましたね」
1995年にA代表デビューを果たした名波氏とカズは、当時のチームにおいて「司令塔」と「エース」の関係。1本のパスでゴールをこじ開けるべく、「カズさんから要求されることが多かった」という。
「スルーパスのタイミングをこうしてほしいとか、(カズが)プルアウェイなどひと手間かけずにゴールに直結する状況の時を見逃さないでくれと言われていたのは覚えています」
1972年生まれでJリーグ創設後の95年にプロ入りした名波氏に対し、67年生まれのカズはJリーグ黎明期を知る世代。現在につながる日本サッカー界の礎を築いた“先輩”たちには「リスペクトしかない」と語る。
そうした感情を抱かせる出来事の一つが、「ドーハの悲劇」だ。93年10月28日、アメリカW杯アジア最終予選最終節のイラク戦。日本が2-1とリードして迎えた後半アディショナルタイム、このまま勝てば悲願のW杯初出場が決まる状況で、相手の右CKからまさかの同点ゴールを奪われてしまう。
「Jリーグができてやっと光りが差し込んだなかで、外国人監督(ハンス・オフト監督)を招聘して、残り何分かで誰もがワールドカップに行ける、初出場というところをひっくり返されたというのは……。その人たちの感情は、僕らは軽はずみに語れない。僕は当時大学3年生で、普通に顔に日の丸のペイントをして、家のテレビで大学サッカー部の仲間たちと見ていて。もし、あの場に選手としていたら、どんな心境なんだろうなと思いますよね」