元日本代表の“司令塔”が「衝撃を受けた選手」 2人の名手を選出「オーラが凄かった」

名波浩氏が天才たちとの対戦を振り返った【画像はスクリーンショットです】
名波浩氏が天才たちとの対戦を振り返った【画像はスクリーンショットです】

ロナウジーニョはドリブルのキレだけでなく「理詰めでプレーしていた」

 そして名波氏がもう1人、衝撃を受けた選手として名前を挙げたのが元ブラジル代表FWロナウジーニョだ。2004年8月、バルセロナがシーズン開幕前のプレシーズンツアーで来日。静岡県のエコパスタジアムで磐田と対戦した。

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 この試合に先発フル出場した名波氏は、バルセロナ在籍2年目で全盛期に突入していたロナウジーニョとピッチ上で対峙。圧倒的なテクニックに度肝を抜かれたという。

「バルサのスピードアップには必ずロナウジーニョが絡んでいて、ノールックパスやフェイントからのトップスピードへの加速、ストップやターン、ドリブルなどとにかくボールコントロールで物凄く魅せる選手だなと。あのドリブルのキレは、やっぱり自分が持っていないものなので、これは絶対に追いつけない選手だなと思いましたね」

 特に左ウイングに入っていたロナウジーニョが、左サイドのペナルティーエリア脇のエリアに入ると手が付けられなかったと振り返る。

「あそこに入った時の彼を止めようとしたら、もうファウル以外は難しいなと。一回、ジュビロの誰かが激しく奪いにいったんだけど、ロナウジーニョは体を横にスライドさせながら、トントンって感じでボールを浮かせてスライディングをかわしていった。体もめちゃくちゃ強い選手だったけど、やっぱり相手に触らせないほうが自分の選択どおりにプレーできる。そういう部分では感性だけでなく、考えながら理詰めでプレーしているんだなと感じました」

 代名詞の一つである“エラシコ”をはじめ、まるでボールが足に吸い付いているかのようなテクニックを再三披露していたロナウジーニョ。「ボールが右足、左足、自分の体の中心線のどこに置かれていたら、どんなプレーで観る人を楽しませることができるのか。常にそういう空気感を出していた」と、キャリア全盛期に突入していた“天才”のプレーを名波氏は改めて称えていた。

[プロフィール]
名波浩/1972年11月28日生まれ、静岡県出身。順天堂大学を卒業後の95年にジュビロ磐田に加入し、左利きの司令塔として黄金期を迎えたチームの中心として活躍した。Jリーグ通算331試合34得点、Jリーグベストイレブンに4度選出。1999-2000シーズンにはセリエAのヴェネツィアでプレーした。日本代表としても国際Aマッチ67試合9得点の成績を残し、1998年フランスW杯には背番号10をつけて出場。2000年アジアカップではMVPを受賞し、日本の優勝に大きく貢献している。08年に現役引退。14年から19年まで磐田監督を務めた。

(FOOTBALL ZONE編集部・谷沢直也 / Naoya Tanizawa)



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