「受け入れて前に進むために」 横浜FC高橋秀人がコロナ感染を告白した理由
コロナ後遺症との戦い、そして理解されない葛藤
10日間のホテルでの療養を終え、自宅に戻ってきたのは感染が分かってから14日後のことだった。熱は下がったが、手の痺れと倦怠感、そして頭痛が残った。「それと体が全く動かなかった」という。自宅に戻ってからも、約2週間の自宅隔離を行った。ようやく体調が戻ってから練習に参加したが、それでも全く動けなかった。コロナ感染から復帰したチームメートやスタッフから話を聞く限り、高橋は自身の症状が比較的重かったことが分かった。さらに深刻だったのは、復帰後のメンタル面だった。
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「怖さというか、また感染して、誰かにうつしてしまったらどうしようって考えてしまって。僕がうつして、あのつらい思いをさせるのは嫌だったので、ピッチに立ちたくないというか、サッカーをしたくないという思いもあったんです」
体力面でのフィジカルの低下と相まって、メンタル面での落ち込みが高橋をさらにピッチから遠ざけてしまった。さらに追い打ちをかけたのが、“コロナ後遺症”の不調を理解してもらえないつらさだった。新型コロナウイルスが日本で見つかってから1年。今でこそ“コロナ後遺症”の存在が語られるようになり、少しずつ理解が進んできた。しかし高橋が感染から復帰した昨年夏頃は、世間で“コロナ後遺症”の存在はあまり知られてはいなかった。
「まだ僕が後遺症があると言って、脳のCTをとっても異常がないと言われて。そのギャップというか、『僕が言っているのに、なんで診断名がつかないんだろう?』っていう気持ちもあった。症状が僕よりも軽かったチームメートたちがどんどんピッチに復帰していくので、『なんでそんなに休んでいるんだ?』と周りから思われているんじゃないかって疑心暗鬼にもなって、ナーバスになってしまった。
復帰するにあたっても、コーチングスタッフや監督はサッカーをすることによって少しずつ気持ちも楽になって、サッカーって楽しいなって思えるので、サッカーをやりながら背中を押すスタイルを取ってくれたけど、それが逆に僕を追い込んでいったというか……」
とはいえ、高橋自身にも葛藤があった。それゆえに苦しさだけが募った。
「タラレバですけど、『時間がかかってもいいから待っているからな』と言ってほしかったんですけど、でもそう言われて『じゃあ休みます』ってなっちゃって、どんどんピッチから離れてしまうと、余計に沼にハマってしまってピッチに戻れなくなるんじゃないのか。とはいえ、『早く練習やろうよ』って言われるのも、それはそれで後遺症が……。自分にとって都合のいいようにしか、物事を認識したり判断したりできない状態になってしまった。悪いことなんてしていないのに、どうしてこんな痛い目に遭わないといけないんだって」