「受け入れて前に進むために」 横浜FC高橋秀人がコロナ感染を告白した理由
10日間のホテル療養中の思いはただ「早く時間が過ぎろ」
保健所と連絡を取り合いながら、病院なのか、ホテルなのか、移る場所の指示を待った。しかし、当時は病院にもホテルにも空きが全くない状態だったため、仕方なく自宅隔離するしか方法はなかった。
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「熱が出た3日間は本当に死にそうでした。ベッドから一歩も動けなくて。奥さんも僕の食事を準備してくれて、トイレとシャワーは浴びるけど、僕が使うたびに消毒しないといけなかった。本当に大変そうでしたけど、自宅にいたおかげでおいしいご飯を3日間食べることができました」
高熱は3日間で治まり、その後は37度台が続いた。そして、高熱が治まった頃に保健所から連絡が入り、ホテル療養に移ることになった。
「実は、コロナに感染した僕がホテルに移って2週間経たないと、濃厚接触者に当たる家族も外出がOKにならないんです。自宅で隔離していても、家族は外に出ることができない。僕も保健所からの連絡待ちで、連絡は来ないし、家族も外出できないからPCR検査も受けられないし、見通しも立たない。『どうしたらいいんだ?』とすごく感情が揺さぶられました。それで保健所の人に当たってしまって……。それでもありがたいことに、クラブから家族分のPCR検査も用意してもらって、僕自身も無事にホテル療養に入ることができた」
ホテルには、保健所が用意したミニバンで移送された。運転席と後部座席はビニールでしっかりと仕切られていた。その時の高橋の症状は発熱があっただけだが、一緒に移送された別の感染者はかなり咳込んでいた。ホテルの部屋はベッドとデスクとテレビがあるだけのビジネスホテルで、窓が小さく新鮮な空気を吸うことができなかったこともあり、閉じ込められたように感じてしまった。iPadも持っていっていたが、楽しむ余裕も、テレビを見る心の余裕すらなかった。「あと10日間で退院できるのか」と、ベッドの上で時間が過ぎるのを待っていたという。
「ただ息をして、用意してもらったお弁当を食べて、あとは『早く時間が過ぎろ、早く時間が過ぎろ』って思っていました」
ホテルには看護師が1人常駐していた。問診は電話で行ったが、常に看護師と話ができるわけではなく、体調に変化があれば看護師が部屋に来てくれるスタイルだった。慣れないホテルの部屋で1人で過ごす日々は、時間が過ぎるのが遅く、「また高熱が出たらどうしよう?」と不安で仕方がなかった。チームのトレーナーやドクターに電話をして愚痴を聞いてもらうことで、時間の経過を速く感じることはできたが、ホテル療養の日々を振り返った高橋は「あの経験はもう二度としたくない」と静かに口にした。