「最高のお手本」 元日本代表MFが憧れた“天才”マラドーナ、名手も唸る“技術の妙”とは?
名波浩氏が衝撃を受けた1986年W杯「最初で最後のお手本だった」
誰しも少年時代に「あの人のようになりたい」と憧れた存在はいるはずだ。サッカー選手なら、その対象は当時のスタープレーヤーであることがほとんどで、映像を観てはグラウンドで真似をし、自らのテクニックや感覚を磨いてきただろう。1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏も、そんな少年時代を過ごした1人。日本の名司令塔が夢中になったのはサッカー史に残る天才、元アルゼンチン代表MFディエゴ・マラドーナだった。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)
◇ ◇ ◇
1986年メキシコW杯、テレビ画面の中で躍動するアルゼンチン代表“10番”のプレーに、当時中学生だった名波氏は衝撃を受けた。グループリーグから決勝までテレビ中継はもちろん、ビデオテープに録画して何度も何度も観ては、マラドーナの姿を目に焼き付けた。
「皆さんもそうだと思いますけど、憧れたらまず何から入ると言ったら、その選手のユニフォームを買ったり、同じスパイクを買ったりしますよね。僕の場合、マラドーナと同じ紐の結び方をしたり、ソックスのダルダルっとした感じも真似しました。86年(W杯)の決勝前にセンターサークルのちょっと外くらいでリフティングをするんですけど、ヒールキックでポン、ポン、ポンって3、4回やってというのも『これ、めっちゃ難しいな』とか言いながら真似したり(笑)。その時はまだ中学生だったので、見よう見まねで入っていくという意味では最高のお手本でしたし、振り返ってみれば、自分にとって最初で最後のお手本だったかなという気がします」
当時25歳だったマラドーナは、卓越したテクニックでアルゼンチンの攻撃をコントロールし、見事に母国を2度目のW杯優勝に導いた。同じ左利きとしてプレーを“研究した”名波氏は、「ボールの置きどころや、相手に読まれた時の逃げ方とか、参考にしたところは多々あったと思います」と振り返ったが、一方で「プレースタイルが違うので、なんとなく自分というものにシフトチェンジしなくてはいけないところは多々あった」という。
「例えばボールの運び方のところで、マラドーナはここでもう一回ドリブルで仕掛けるけど、自分が同じように仕掛けたら足が遅いから追いつかれてしまう。だったら自分なりの良い選択肢はないかなと考えて、『名波浩のプレー』というのを作った気がします」