【独占手記】現役選手のまま他界した久光重貴、四十九日に寄せて 「今もヒサとは『共に』戦っている」

がんと闘い続けた元フットサル日本代表FP久光重貴【写真:河合拓/Futsal X】
がんと闘い続けた元フットサル日本代表FP久光重貴【写真:河合拓/Futsal X】

闘病経験を持つデウソン神戸の鈴村拓也監督、がんと闘い続けた元フットサル日本代表FPを偲ぶ

 昨年12月19日、湘南ベルマーレフットサルクラブに所属する元フットサル日本代表FP久光重貴が永眠した。現行のFリーグ・ディビジョン1、2020-21シーズンも選手登録をされている久光は39歳の若さだった。2013-14シーズン開幕前のメディカルチェックの結果、右上葉肺腺がんがステージⅢBまで進行していた久光は、病と闘いながらアスリートとしてアジア最高峰のフットサルの戦いの場に立ち、「フットサルリボン活動」を通じて、多くの人たちのために様々な活動に取り組んでいた。

 そんな活動に、ともに取り組んできたのがデウソン神戸の鈴村拓也監督だ。鈴村監督自身も上咽頭がんを患い、病を根治させてピッチに戻り、2016年までのキャリアをまっとうした。同じチームに所属したことのない2人は、ライバルであり、良き相談相手であり、深い絆で結ばれた戦友だった。久光の四十九日に寄せて、鈴村監督に今の思いを綴ってもらった。

(取材・構成=河合拓)

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 最後に連絡を取ったのは11月30日の朝だった。その時にヒサから「スズさん、治療法がなくなりました」と言われた。その数日前に「もう電話もするのも苦しそうだ」という話を、湘南ベルマーレの関係者から聞いていたので、「ちょっとLINEでやり取りしようか」と伝えたら、「助かります」と言われ、しばらくLINEでやりとりをした。

 翌週に小田原アリーナの練習を見に行くと言っていたので、その時に神戸から小田原まで行って会ったのが最後になった。お通夜、告別式にも参加させてもらい、あらためていろいろなことを思い出した。

 2月5日は四十九日だ。でも、まだヒサがいなくなった実感が持てないし、現実味がない。また、ふとした時に電話が鳴って、「あれ、どうしましょうか」「次はこういうことをしましょう」なんていう何気ない話ができるんじゃないかって思ってしまう。

 通夜、告別式に参加させてもらった時も、過去の写真などを見ながら、あらためていろいろなことを思い起こした。そして、これからも彼のことを忘れずに、彼の取り組み、考え方を多くの人に語り伝えないといけないなという思いを強く持った。この機会に、彼との思い出の一部を伝えたいと思う。

 初めてヒサと連絡を取ったのは7年半前の2013年7月のことだった。

 当時は僕もまだ現役選手。でも、2012年12月に上咽頭がんと診断されて、治療に入らないといけなかった。5回の抗がん剤治療、35回の放射線治療を受けて、体内のがんが消えて、復帰へ向けてランニングを開始した時期だった。

「がんを乗り越えて、ピッチに戻る」。そう決めてリハビリに取り組んでいたものの、自分がもう一度ピッチに立っていいのか、どの試合で復帰をすればいいのか、何も見えずに目標がない状態だった。

 ヒサから連絡がきたのは、ウォーキングをしたり、走ってみたり、病人の体をアスリートの体に戻そうとしている最中だった。「肺にがんが見つかって、これから治療に入ります」と言われ、頭が真っ白になった。まさか自分が治療を終えて、その直後に同じFリーグの舞台で戦っている選手に、がんを患う人が出るとは予想していなかったし、居ても立ってもいられなくなった自分は、実家に戻っていた彼に会いに行った。

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